毒と薬

介護士は心霊がお好き?(その3)

ベストセラー『下流社会』で知られる消費社会研究家でマーケティング・アナリストの三浦展(あつし)氏は、『現代若者論』(ちくま文庫)で、85〜92年生まれの、いわゆるZ世代の若者には、奇跡や死後の生まれ変わりを信じるなど、非合理主義的傾向が強いことを報告しています。
それは、戦後の経済成長をささえた近代合理主義的な価値観が揺らぎ「溶解」した時期にかれらが育ったことと関係があると氏は分析します。

わたしが注目したいのは、地元好きの者のほうが非合理的なものを信じる傾向にあるという指摘です。

その理由を氏は、地元好きは地域社会に古くから伝わる迷信や慣習などにより適応してきたせいではないか、といったんは考えます。しかし、地域社会の解体はいまや大都市部だけではなく全国的に進行し、地域の迷信や俗信は消えてなくなりつつあります。かれらはこの現実を目の当たりにしながら生まれ育ったからこそ、かえって新しい「魔術」を求めようとしているのかもしれないと考えを新たにしています。

この切り口は、氏がよさこいを踊る若者たちの日本回帰志向を、日本的な文化伝統にのっとったものではなく、「J」的としかいいようのない無国籍性と看破したことと通じるものがあります。

それはパワースポット・ブームにもいえること。その場所が、たとえ由緒ある古刹や景勝地であったとしても、「伝統」や「歴史」の重みがまったく感じられないのは、とらえる側の視点があくまでも「J」的だからなのではないでしょうか?

ただ、地元志向の若者たちがより心霊的なものを好む理由をこのことだけで説明するのは無理があるように感じます。

わたしはこう考えます。 近ごろ、生まれも育ちも地元という「ディープ・コマキ」の若手介護スタッフが多くなっています。かれらに聞くと、オフはいまだに中学時代の同級生たちとよくつるんでいるとのこと。
これはつまり、伝統的な地域共同体は壊れてしまっても、友だち同士のムラ社会的な人間関係はずっと保たれているということです。外部に対して閉鎖的な共同性が保たれているところには、暴走族の改造車が象徴するように、合理的価値基準や一般社会の価値基準とはちがう極端なものが生まれ温存される傾向にあります。新しい「魔術」はそんなところから生まれるのではないでしょうか?

2010.09.16 | 介護社会論