双寿会からのお知らせ

ハワイ音楽は戦後日本人の憧れ〜帆巻ウクレレクラブ来苑


帆巻ウクレレクラブのみなさんとスタッフたち

帆巻ウクレレクラブのみなさんとスタッフたち

6月17日、梅雨の季節の暑い盛り、豊寿苑で「帆巻ウクレレクラブ」のみなさんによるコンサートがありました。

帆巻ウクレレクラブは、ペダル・スティール・ギターの長澤剛重さんをバンド・リーダーに地元で活動するハワイアン・バンドです。

バンド名の「帆巻(ほまき)」とは、尾張平野の内陸部にある小牧が、大昔、海に面していて、小牧山を目印に船の帆を巻いたことから「ほまき」、これが訛って「こまき」になったとの説にちなんだものだそうです。

たしかに、海洋性のハワイ音楽には、「小牧」よりも「帆巻」の方が似合っていますね。

ステージ中央でスティール・ギターを操る長澤さん

ステージ中央奥で座りながらスティール・ギターを操る長澤さん

じつはリーダーの長澤さん。小牧市在住の早稲田大学卒業生の集まりである「小牧稲門会」で私の大先輩であります。大柄で、背筋がピンと伸びていて、かくしゃくとされているのでとてもそうは見えないのですが、昭和31年ご卒業ですから80代になられているのではないでしょうか?

稲門会の懇親会の折、自己紹介で、学生時代から勉強はほどほどにハワイ音楽に没頭していたとのお話を聞いて、「この不良ぶりがいかにもワセダ!」と感心して、今回、ご出演をお願いした次第です。

長澤さんが大学生だった昭和30年前後は、灰田晴彦(有紀彦)とニュー・モアナバッキー白片(しらかた)とアロハ・ハワイアンズ大橋節夫とハニー・アイランダーズ和田弘とマヒナスターズなど、ハワイアン・バンドが次々と結成されてハワイアンが大ブームでした。

ギターのネックの部分を水平の台に乗せ、スライド奏法で琴のように「ピョワ〜ン」と弾くペダル・スティール・ギターはハワイアンの花形楽器。だから、日本のハワイアンをリードしてきたバンド・リーダーたちは、たいがいスティール・ギター奏者でした。ロック少年がエレキ・ギターにあこがれるように、長澤さんはスがティール・ギターを弾きたかった気持ちがとてもわかります。

コンサートは「アロハッ」でスタート

コンサートは「アロハッ」のポーズでスタート

前置きが長くなりました。

当日のメンバーは12人。ステージ後方には、長澤さんのスティール・ギターを中心に、左右をアクースティック・ギター1、エレキ・ベース1、ウクレレ4の男性陣。ステージ正面はヴォーカル、ダンス、ウクレレ演奏を兼ねる女性陣。

総勢12人からなる帆巻ウクレレ・クラブのみなさん

総勢12人からなる帆巻ウクレレ・クラブのみなさん

開演前に長澤さんからお示しいただいた演奏曲は、アンコール予定曲を含むと、「な、なんと!」全13曲。歌と演奏だけでなく、フラ・ダンスあり、健康体操タイムありと、盛りだくさんのメニューだったので、60分はかかるとみて、前倒しでスタートしました。

ステージは、スティール・ギターとウクレレでエキゾチックに生まれ変わった「四季の歌」で幕を開け、続くフラのスタンダード「レイ・ナニ」では、たゆたうような音楽にのせてご婦人二人がフラ・ダンスを披露。会場は、一気に南国ムードに彩られました。そのあと「われは湖の子(うみのこ)さすらいの」の歌い出しで知られる「琵琶湖周航の歌」、ワイキキの有名なダイアモンド・ヘッドを歌った、エセル中田でヒットした「カイマナ・ヒラ」というように、日本の歌とハワイアンとがほぼ交互に演じられました。

フラ・ダンスのワン・ポイント・レッスンの模様

フラ・ダンスのワン・ポイント・レッスンの模様

豊寿苑のご利用者の多くは、演歌、民謡、童謡といった土臭く田舎っぽい音楽を好まれるのですが、今回の選曲は、アメリカナイズされ商業化されたハワイ音楽はいうに及ばず、日本の歌でも「知床旅情」「上を向いて歩こう」といった、どちらかというと洒脱で都会的な音楽だったのですが、驚いたことに、みなさん結構ノッていました。

フラは優雅なばかりではない、雄々しいダンスも披露。

フラは優雅なばかりではない、雄々しいダンスも披露。

帆巻の演じるハワイ音楽は、ワールド・ミュージックのライターである私にとっては、なじみ深いソル・ホオピイレナ・マシャードギャビー・パヒヌイソニー・チリングワースといったディープでコアな音楽ではなく、敗戦後、豊かなアメリカ文化への日本人のあこがれを反映した楽園音楽のように思えました。

そう、自分が若かった頃を思い出させるノスタルジーそのものなんです。

後半はスタッフも混じって大フラ大会で大いに盛り上がり!(”大”三つ)。

リハビリとしてのフラの可能性を垣間見せられました。

ご利用者もいっしょにフラを踊りました。

ご利用者もいっしょにフラを踊りました。

この日、個人的にいちばんうれしかったのは「南国の夜」でした。

この曲はバッキー白片とアロハ・ハワイアンズ和田弘とマヒナスターズなど、ほとんどのハワイアン・バンドがレパートリーにしている有名曲ですが、じつはハワイ音楽ではなく、原曲はメキシコの作曲家アグスティン・ララ「ベラクルスの夜」 Noche De Veracruz です。

ハワイ音楽の優雅さと、ラテン音楽の哀感が融合して、これを歌謡曲に仕立てたのがムード歌謡でした。ご承知のように、ハワイアンからスタートした和田弘とマヒナスターズはその第一人者になりました。

こちらはおなじみの優雅なフラ・ダンス

こちらはおなじみの優雅なフラ・ダンス

今回、帆巻ウクレレクラブのみなさんにお越しいただいて、ハワイアンがご利用者にとっても、若いスタッフたちにとっても、こんなに楽しんでもらえる音楽だったとはちょっとした発見でした。

帆巻ウクレレクラブのみなさんには、次回も是非ご出演をお願いしたいと思っています。

6月17日、梅雨の季節の暑い盛り、豊寿苑で「帆巻ウクレレクラブ」のみなさんによるコンサートがありました。
帆巻ウクレレクラブは、ペダル・スティール・ギターの長澤剛重さんをバンド・リーダーに地元で活動するハワイアン・バンドです。
バンド名の「帆巻(ほまき)」とは、尾張平野の内陸部にある小牧が、大昔、海に面していて、小牧山を目印に船の帆を巻いたことから「ほまき」、これが訛って「こまき」になったとの説にちなんだものだそうです。
たしかに、海洋性のハワイ音楽には、「小牧」よりも「帆巻」の方が似合っていますね。
じつはリーダーの長澤さん。小牧市在住の早稲田大学卒業生の集まりである「小牧稲門会」で私の大先輩であります。大柄で、背筋がピンと伸びていて、かくしゃくとされているのでとてもそうは見えないのですが、昭和31年ご卒業ですから80代になられているのではないでしょうか?
稲門会の懇親会の折、自己紹介で、学生時代から勉強はほどほどにハワイ音楽に没頭していたとのお話を聞いて、「この不良ぶりがいかにもワセダ!」と感心して、今回、ご出演をお願いした次第です。
長澤さんが大学生だった昭和30年前後は、灰田晴彦(有紀彦)とニュー・モアナ、バッキー白片(しらかた)とアロハ・ハワイアンズ、大橋節夫とハニー・アイランダーズ、和田弘とマヒナスターズなど、ハワイアン・バンドが次々と結成されてハワイアンが大ブームでした。
ギターのネックの部分を水平の台に乗せ、スライド奏法で琴のように「ピョワ〜ン」と弾くペダル・スティール・ギターはハワイアンの花形楽器。だから、日本のハワイアンをリードしてきたバンド・リーダーたちは、たいがいスティール・ギター奏者でした。ロック少年がエレキ・ギターにあこがれるように、長澤さんはスがティール・ギターを弾きたかった気持ちがとてもわかります。
前置きが長くなりました。
当日のメンバーは12人。ステージ後方には、長澤さんのスティール・ギターを中心に、左右をアクースティック・ギター1、エレキ・ベース1、ウクレレ4の男性陣。ステージ正面はヴォーカル、ダンス、ウクレレ演奏を兼ねる女性陣。
開演前に長澤さんからお示しいただいた演奏曲は、アンコール予定曲を含むと、「な、なんと!」全13曲。歌と演奏だけでなく、フラ・ダンスあり、健康体操タイムありと、盛りだくさんのメニューだったので、60分はかかるとみて、前倒しでスタートしました。
ステージは、スティール・ギターとウクレレでエキゾチックに生まれ変わった「四季の歌」で幕を開け、続くフラのスタンダード「レイ・ナニ」では、たゆたうような音楽にのせてご婦人二人がフラ・ダンスを披露。会場は、一気に南国ムードに彩られました。そのあと「われは湖の子(うみのこ)さすらいの」の歌い出しで知られる「琵琶湖周航の歌」、ワイキキの有名なダイアモンド・ヘッドを歌った、エセル中田でヒットした「カイマナ・ヒラ」というように、日本の歌とハワイアンとがほぼ交互に演じられました。
豊寿苑のご利用者の多くは、演歌、民謡、童謡といった土臭く田舎っぽい音楽を好まれるのですが、今回の選曲は、アメリカナイズされ商業化されたハワイ音楽はいうに及ばず、日本の歌でも「知床旅情」や「上を向いて歩こう」といった、どちらかというと洒脱で都会的な音楽だったのですが、驚いたことに、みなさん結構ノッていました。
帆巻の演じるハワイ音楽は、ワールド・ミュージックのライターである私にとっては、なじみ深いソル・ホオピイ、レナ・マシャード、ガビー・パヒヌイ、ソニー・チリングワースといったディープでコアな音楽ではなく、敗戦後、豊かなアメリカ文化への日本人のあこがれを反映した楽園音楽のように思えました。
そう、自分が若かった頃を思い出させるノスタルジーそのものなんです。
後半はスタッフも混じって大フラ大会で大いに盛り上がり!(”大”三つ)。
リハビリとしてのフラの可能性を垣間見せられました。
この日、個人的にいちばんうれしかったのは「南国の夜」でした。
この曲はバッキー白片とアロハ・ハワイアンズ、和田弘とマヒナスターズなど、ほとんどのハワイアン・バンドがレパートリーにしている有名曲ですが、じつはハワイ音楽ではなく、原曲はメキシコの作曲家アグスティン・ララの「ベラクルスの夜」です。
ハワイ音楽の優雅さと、ラテン音楽の哀感が融合して、これを歌謡曲に仕立てたのがムード歌謡でした。ご承知のように、ハワイアンからスタートした和田弘とマヒナスターズはその第一人者になりました。
今回、帆巻ウクレレクラブのみなさんにお越しいただいて、ハワイアンがご利用者にとっても、若いスタッフたちにとっても、こんなに楽しんでもらえる音楽だったとはちょっとした発見でした。
帆巻ウクレレクラブのみなさんには、次回も是非ご出演をお願いしたいと思っています。

2015.07.02 | 地域交流音楽とアート