毒と薬

NHK取材記〜「ビートルズ世代」は誰?

テレビ取材の合い間、おちゃめにポーズしてみせる榎本加代子先生

テレビ取材の合い間、おちゃめにポーズしてみせる榎本加代子先生

『ほっとイブニング』は、NHK名古屋放送局制作で、毎週月〜金曜の午後6時10分〜7時00分、地元のニュースや話題を中心に伝える報道情報番組。

その週はシリーズで「介護」を特集していました。
深刻な介護人材不足に頭を悩ます施設の取り組みや、介護する側の心の負担など、夕方のローカル情報番組らしからぬ問題意識と掘り下げの深さに、つい画面を見入ってしまいました。それは、介護労働を「低賃金」「重労働」「将来性なし」の手垢にまみれたパブリック・イメージをくり返すにとどまる、次元の低い、高みに立った紋切り型の論調とはひと味もふた味もちがっていました。

NHKが取り上げたこうした問題は、重たい「現実」です。だから、少しでも多くの人びとに知ってもらう必要があります。といって、これらに対して絶望的な気持ちでいたところで何にもなりません。そんな中でも前を向いて、喜びや楽しみを見つけようという態度で臨むことが大切なのではないか。私が『ダンスフェス2013』を通じて訴えたかったのはそのことです。そんなわけで、番組のHPあてに『ダンスフェス2013』開催の告知させてもらったのでした。

ご案内したのは『ダンスフェス』がおこなわれる土曜日の週でしたので、ほんの3、4日前。時間的にみて、番組で取り上げてもらえるとは当初から考えていませんでした。「いま、なぜ、ダンス・リハビリなのか?」についてHPに書いた文章が、シリーズ「介護」の担当者の目にとまってくれたらいい。そんな程度でした。

それから2日ほどして、記事を読んで興味を持ってもらえたNHKの松岡さんという記者の方から電話があり、イベント当日、プライベートで見に来てもらえることになりました。

松岡さんは、電話口から想像していたとおり、気さくでさっぱりしていてウィットに富んだ笑顔が印象的な女性でした。イベント終了後に話し合って、2日後の月曜日、榎本先生のいつものレッスンに撮影クルーを連れて取材に来てもらえることに決まりました。

平成25年11月18日、取材班は記者の松岡さんを含む3人で現れました。驚いたのは、松岡さんはじめ、カメラ担当の方も、音声担当の方も全員が女性だったことです。松岡さんは「たまたま」といってましたが、ソフトで友好的なムードを作りながら、取材対象である榎本先生、私、お年寄りのみなさんの緊張感や警戒心をたくみに緩めて、すんなり中に入り込んでいくやり方は、女性ならではかもしれないと感心しました。2日前のイベントで取材してもらった中日新聞記者の方の、観察者的で、記者然とした一問一答的な取材態度とは好対照でした。

いつものレッスンを終えてインタビューを受けている榎本先生

いつものレッスンを終えてインタビューを受けている榎本先生

レッスン中のお年寄りに、にこやかにさりげなく近づいてインタビュー

参加したお年寄りににこやかに近づいてインタビュー

その様子は、その週の21日、木曜日の『ほっとイブニング』で放映されました。放送時間は思っていたより長く、3分はあったと思います。

放送では、介護サービスを受ける高齢者の中心が戦中・戦後世代になって、価値観が多様化し、介護施設でのレクリエーションが従来の〈高齢者=演歌・民謡〉の紋切り型だけでは通用しにくくなっていること。そこで、スポーツ・クラブに通う高齢者が増えていることに着眼して、リハビリの一つとしてダンス・エクササイズを取り入れた、という私の考えが紹介され、当施設でのレッスン風景が映し出されました。

画面からは、お年寄り、榎本先生、スタッフたちの表情や仕草に、よそ行きではない、きれいごとではない、いつもどおりの和気あいあいとしたムードがにじみ出ていて、とてもよかったと思います。私も彼ら、彼女らの、ああした笑顔を見るのがうれしくて、ブログで紹介し『ダンスフェス』をする気になったんだなあと、そのとき思いました。

ただひとつ、問題があったとすれば、裏方のつもりでいた私がクローズアップされていた点です。放送終了後、お礼かたがた、メールで松岡さんにそのわけをたずねてみると「塚原さんがおもしろかったから」だそうです。喜んでいいのか、反省すべきなのか、微妙なところです。

NHK記者の取材を受ける筆者

松岡記者の取材を受ける筆者。左手にはさりげなくICレコーダーが。

反省といえば、放送で「ビートルズ世代に向けた取り組み」とありましたが、あれは私の失言です。
ビートルズが日本公演をおこなった66年前後に青年期を迎えていた世代を「ビートルズ世代」と呼ぶことがあります。その世代の人たちもいまや70歳前後になり、今後、介護のリスクが高くなるのはまちがいありません。ですが、現時点では大多数はまだ元気です。
ダンス・エクササイズの中心世代は、彼らより10歳近く年長の、ちょうど55年頃に青年期を迎えた人たちです。だから「マンボ世代」と紹介されるべきだったと思います。

なぜ、私がこんな初歩的な失言をしてしまったかというと、取材の翌日、元ビートルズのポール・マッカートニーの東京ドーム公演に行く予定だったからです。そのため、頭の中がビートルズのことでいっぱいになっていて、ついつい口がすべってしまいました。この場所を借りてお詫びします。

そんなわけで、ここですこし話題を変えて、翌19日のポールの東京ドーム公演の話をしたいと思います。

ポール・マッカートニーは今年、71歳を迎えました。彼の年齢から考えて、最後の日本公演になるだろうと思った私は青春時代のメモリアル体験ぐらいの気持ちで、中味にはあまり期待せずコンサートに足を運びました。 だが、それはとんでもない誤解でした。

‘Yesterday’‘Day Tripper’‘Lady Madonna’‘Obla Di Obla Da’‘Hey Jude’‘The Long And Winding Road’‘Let It Be’ といったビートルズ時代のポールの代表曲から、最新ソロ・アルバム“NEW” 収録曲まで、全37曲を、ポールは、ベース、生ギター、エレキ・ギター、ピアノと次々と楽器を乗り替えながら、キーを下げることなく、アレンジも当時のままほとんど変えずに、約2時間45分を、ほぼ休憩なしにエネルギッシュに歌いこなしました。

ポールのニュー・アルバム"NEW"

ポールのニュー・アルバム"NEW"

ビートルズのナンバーでもっともワイルドでヘヴィな‘Helter Skelter’ をアンコールで見事にシャウトして歌ったり、名作『アビーロード』B面、怒濤のメドレーのラスト、その名も‘The End’ で、ジョン、ポール、ジョージで演じた三つどもえの激しいギター・バトルを再現してみたりと、とても71歳とは思えない現役感バリバリの姿に、最後は感動を通り越して放心状態になってしまいました。

ポール以外にビートルズのメンバーで存命中はリンゴ・スターで73歳。生きていれば、ジョン・レノンは73歳、ジョージ・ハリスンは70歳です。本人たちの年齢を基準にすれば「ビートルズ世代」は、あながちまちがっていないかも。

ところで、66年のビートルズ来日公演をきっかけに日本の若者文化は大きく変わったといわれています。ところが、全共闘運動を扱った大著『1968』(新曜社)で歴史社会学の小熊英二は、当時の青少年がこぞってビートルズ熱に犯されたというのは、後年に創られた「神話」であるといっています。
じつはビートルズのレコードが本格的に日本で売れるようになったのは、解散後の73年に発売された通称「赤盤」「青盤」と呼ばれている二組の2枚組ベスト盤以降なのだそうです。

筆者の書棚から、小熊英二『1968』背表紙

筆者の書棚から、小熊英二『1968』背表紙

私は13歳の時にポール・マッカートニーとウイングスが歌った映画『007死ぬのは奴らだ』の主題歌をきっかけにビートルズを知るようになりました。ビートルズにもっともはまっていたのは、ポール絶頂期の『バンド・オン・ザ・ラン』と、続く『ヴィーナス・アンド・マース』のあいだですから74、75年です。だとすると、61年生まれの私こそ、正真正銘の「ビートルズ世代」ということになります。

ということは、「ビートルズ世代」の洋楽マニアだった私が、同世代だが異次元にいた「ディスコ世代」の榎本先生と30数年後に高齢者介護というフィールドで出会い、ダンス・リハビリが実現したということなかもしれません。
3月にはローリング・ストーンズの東京ドーム公演へ行ってきます。

2013.12.25 | カルチャー音楽とアート