毒と薬

敬老会で「常普請木遣保存会」の伝統芸能を披露


紅白の棟木を抱える「常普請木遣保存会」のみなさん

紅白の棟木を抱える「常普請木遣保存会」のみなさん

9月17日、「平成28年 医療法人双寿会 敬老会」が豊寿苑1階ホールで行われました。

当日の出席者は60数名。入所者の平均年齢84.2歳の当施設にあって、満88歳で米寿を迎えられた方は老健と診療所、合わせて8人、百歳以上の方は2人おられました。

今年の敬老会には、小牧の伝統芸能「常普請木遣(じょうぶしきやり)保存会」のみなさんを初めてお招きして「木遣り唄」をご披露いただきました。

「木遣り」とは、「木を遣り廻す」の意味で、もともとは鳶職(とびしょく)が鳶口(トビのくちばしのような鉄の穂先の付いた棒)を使って木材などを動かす、つまり木材を運搬することです。

重い木材や石の運搬には多くの人の力が必要でしたから、全員が息を合わせるために一人の号令で唄ったのが始まりといわれています。つまり、木遣り唄とは労働歌(ワークソング)だったわけですね。

神社仏閣や家を建てることはおめでたいことなので、鳶職人や大工などが祝い唄として唄うようになりました。やがて上棟式や竣工式など、建築に関係する行事以外にも、祭礼や結婚式などでも唄われるようになりました。

今回、お越しいただいた「常普請木遣保存会」のみなさんは、小牧市で唯一つ残る木遣保存会です。この日は約20人でお越しいただけました。

棒振りを披露

真剣なまなざしで「棒振り」を鑑賞するお年寄りたち

赤い頭巾をかぶり、紺の羽織を着て、五色の御幣を振りながら、音頭を取る「音頭取り」の先導で、鉢巻・半纏(はんてん)・股引(ももひき)、腰に三色の手拭いと扇子を挿した大勢の男たちが、紅白の布を巻いた棟木と枕木を担ぎ、唄に合わせて、独特のゆっくりした足さばきで身体を左右に揺らしながら舞台に現れました。

音頭取りが被る赤い頭巾は

赤い頭巾、長い羽織、五色の御幣という異装は神主のヴァリエーションか?

舞台中央で枕木の上に棟木を置くと、木槌をふるって「打ち納め」の儀式を行いました。

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「打ち納め」には大地(地母神)との結婚という意味合いがありそう

このあと、房の付いた紅白棒を手に音頭取りに合わせて踊りを披露しました。記憶が不確かですが、「棒振り」と紹介されていたと思います。

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棒で地固めする意味合いもあるのかな?

所作が奴(やっこ)を思わせることから、房の付いた棒はおそらく大名行列で奴が担ぐ毛槍を模したものだと思います。

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ちょっと足元が危うい奴舞

続いては、意外なことに、駆け落ちの悲恋物語「お夏清十郎」を題材にした小唄です。

唄に合わせて、両手に日の丸扇子を持ち、骨の部分に指で挟んで広げたり重ねたりしながら、男らしく無骨に踊ります。

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「華麗さ」とは無縁の、無骨で男らしい踊り

私は扇子で祝い松を表現しているのかと思っていましたが、日本舞踊をやっている妹によると、松ならば扇の要(かなめ)を持つはずで、骨を持っていたから笠を表していたのではないかとのことでした。

つまり、扇子は、お夏と離れ離れになった清十郎のシンボルだった菅笠のことではないかというのです。

この他にも、伊勢神宮の遷宮で切り出した材木を運ぶときの木遣り唄をルーツとする、上棟式などの慶事には欠かせない祝儀唄「伊勢音頭」など、米国南部R&Bテイストの熱くて渋い朗々とした唄声をご披露いただきました。

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職人気質が全身から滲み出ています

侠気(おとこぎ)に溢れた堂々とした歌と踊りにご利用者のみなさんは終始釘付けでした。戦時中に聞いた覚えがあると感慨で目頭を熱くしておられた方もおられました。

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手拭いを肩にかけいなせに踊る。歌う姿はほとんどJB

今回の敬老会で、地元小牧の、貴重で質の高い民俗芸能を、大勢のお年寄りのみなさんにご覧いただけたことは主催者としてとてもうれしく思っております。

なによりも、ぶしつけな依頼にもかかわらず快くお引き受けいただいた舟橋会長はじめ「常普請木遣保存会」のみなさまに心からお礼申し上げます。

9月17日、「平成28年 医療法人双寿会 敬老会」が豊寿苑1階ホールで行われました。
入所者の平均年齢84.2歳の当施設にあって、満88歳で米寿を迎えられた方は老健と診療所、合わせて8人、百歳以上の方は2人おられました。
今年の敬老会には、小牧の伝統芸能「常普請木遣(じょうぶしきやり)保存会」のみなさんを初めてお招きして「木遣り唄」をご披露いただきました。
「木遣り」とは、「木を遣り廻す」の意味で、もともとは鳶職(とびしょく)が鳶口(トビのくちばしのような鉄の穂先の付いた棒)を使って木材などを動かす、つまり木材を運搬することです。
重い木材や石の運搬には多くの人の力が必要でしたから、全員が息を合わせるために一人の号令で唄ったのが始まりといわれています。つまり、木遣り唄とは労働歌(ワークソング)だったわけですね。
神社仏閣や家を建てることはおめでたいことなので、鳶職人や大工などが祝い唄として唄うようになりました。やがて上棟式や竣工式など、建築に関係する行事以外にも、祭礼や結婚式などでも唄われるようになりました。
今回、お越しいただいた「常普請木遣保存会」のみなさんは、小牧市で唯一つ残る木遣保存会です。この日は約20人でお越しいただけました。
赤い頭巾をかぶり、紺の羽織を着て、五色の御幣を振りながら、音頭を取る「音頭取り」の先導で、鉢巻・半纏(はんてん)・股引(ももひき)、腰に三色の手拭いと扇子を挿した大勢の男たちが、紅白の布を巻いた棟木と枕木を担ぎ、唄に合わせて、独特のゆっくりした足さばきで身体を左右に揺らしながら舞台に現れました。
舞台中央で枕木の上に棟木を置くと、木槌をふるって「打ち納め」の儀式を行いました。
このあと、房の付いた紅白棒を手に音頭取りに合わせて踊りを披露しました。記憶が不確かですが、「棒振り」と紹介されていたと思います。
所作が奴(やっこ)を思わせることから、房の付いた棒はおそらく大名行列で奴が担ぐ毛槍を模したものだと思います。
続いては、意外なことに、駆け落ちの悲恋物語「お夏清十郎」を題材にした小唄です。
唄に合わせて、両手に日の丸扇子を持ち、骨の部分に指で挟んで広げたり重ねたりしながら、男らしく無骨に踊ります。
私は扇子で祝い松を表現しているのかと思っていましたが、日本舞踊をやっている妹によると、松ならば扇の要(かなめ)を持つはずで、骨を持っていたから笠を表していたのではないかとのことでした。
つまり、扇子は、お夏と離れ離れになった清十郎のシンボルだった菅笠のことではないかというのです。
この他にも、伊勢神宮の遷宮で切り出した材木を運ぶときの木遣り唄をルーツとする、上棟式などの慶事には欠かせない祝儀唄「伊勢音頭」など、米国南部R&Bテイストの熱くて渋い朗々とした唄声をご披露いただきました。
侠気(おとこぎ)に溢れた堂々とした歌と踊りにご利用者のみなさんは終始釘付けでした。戦時中に聞いた覚えがあると感慨で目頭を熱くしておられた方もおられました。
今回の敬老会で、地元小牧の、貴重で質の高い民俗芸能を、大勢のお年寄りのみなさんにご覧いただけたことは主催者としてとてもうれしく思っております。
なによりも、ぶしつけな依頼にもかかわらず快くお引き受けいただいた舟橋会長はじめ「常普請木遣保存会」のみなさまに心からお礼申し上げます。

2016.09.30 | 地域交流

祝! 当施設の土佐知美と横田和美がダブル受賞しました

厚生労働大臣からの立派な表彰状を見せてもらいました

厚生労働大臣からの立派な表彰状を見せてもらいました

このたび、当施設の介護支援専門員の土佐知美(本名落合知美)が「平成28年度介護老人保健施設事業功労者に対する厚生労働大臣表彰」を、看護師の横田和美が「平成28年度公益社団法人全国老人保健施設協会表彰」をダブル受賞しました。

土佐は、平成7年(1995)の開設時に介護職員として入職。以来、介護主任、介護現場統括者、相談員、介護支援専門員を歴任しています。一昨年には「公益社団法人全国老人保健施設協会表彰」を受賞しました。

土佐知美さん。表彰式前に会場にて

土佐知美さん。表彰式前に会場にて

横田は、平成9年(1997)に看護職員として入職。現在は当施設看護部主任を務めています。

横田和美さん。表彰式前に会場にて

横田和美さん。表彰式前に会場にて

豊寿苑の二本柱といえる二人がダブル受賞したことは、当施設にとってこの上ない名誉であり、二人には心から「おめでとう」、そして「ありがとう」と言いたい気持ちでいっぱいです。

表彰式の模様

表彰式は、平成28年9月15日に『第27回全国老人保健施設大会 大阪』が開かれている大阪国際会議場で行われました。

表彰式が行われた会場メインステージ

表彰式が行われた会場メインステージ

二人には医療法人双寿会からお祝いとして有馬温泉旅行をプレゼント。当日は宿泊先から駆けつけてくれました。

私は前日に会議場近くのビジネス・ホテルに宿泊。朝、会場で二人と落ち合いました。両人とも温泉効果か、お肌がツルツルでテカテカと輝いていて、とてもにこやかでした。

喜びと温泉効果でテカテカに顔を輝かしている土佐さんと横田さん

喜びと温泉効果でテカテカに顔を輝かしている土佐さんと横田さん

会場は、全国から集まったものすごい数の人たちでにぎわっていました。受賞者は会場前列に設けられた受賞者席に案内されます。私は、受賞者席の後方最前列の座席を陣取ってカメラを構えていました。

表彰が行われる壇上のすぐ側で記念撮影

表彰が行われる壇のすぐ側で記念撮影

やがて、ステージ上に主催者や来賓など、50、60名近い人たちが着座し開会式が始まりました。

主催者や来賓がズラリと並んだ壇上

主催者や来賓がズラリと並んだ壇上。受賞者が神妙に着席しています

表彰式では受賞者一人一人の名まえが読み上げられ、大型スクリーンに受賞者の姿が映し出されました。皆、神妙な顔つきをしています。

ステージ上のスクリーンに落合知美(土佐)名まえと横顔が大きく映し出されました

ステージ上のスクリーンに落合知美(土佐)名まえと横顔が大きく映し出されました

スクリーンに横田さんの名まえが出た時は残念ながら違う人たちの顔でした

スクリーンに横田さんの名まえが出た時はカメラが追えなくて違う人たちが映っていました

こうして無事、表彰式を終え、私は彼女たちと別れ、大阪環状線で天王寺に行きました。

大阪観光へ

目的は、大坂の陣の激戦地である茶臼山と隣接する一心寺真田幸村終焉の地と伝えられる安居神社、それから、落日に極楽浄土を観想したとされる聖徳太子ゆかりの四天王寺を訪ねることでした。

大坂冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村(信繁)が陣を置いた茶臼山

大坂冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村(信繁)が陣を置いた茶臼山

 

一心寺には夏の陣で酒を飲んでいたために戦没したとされる徳川方の本田忠朝の墓がある

一心寺には夏の陣で酒を飲んでいたために戦没したとされる徳川方の本田忠朝の墓がある

真田幸村(信繁)が最後を迎えたとされる安居神社。右に石碑と朝に幸村の銅像が建つ

真田幸村(信繁)が最期を迎えたとされる安居神社。右に石碑と共に幸村の銅像が安置されている

その後、道のど真ん中に通天閣が聳える、猥雑でたくましいエネルギーに満ちた下町「新世界」を訪ね、隣接するジャンジャン横町にある人気の串カツ店「てんぐ」で、名物の串カツとどて焼きをたっぷり食べ、疲れた身体にビールを流し込んで、ほろ酔い気分で家路につきました。

繁華街の反対側から見た通天閣。レトロなたたずまい

繁華街の反対側から見た通天閣。派手さはないが下町的なレトロなたたずまいがいい

「新世界」では店の派手すぎる装飾に圧倒されっ放し

「新世界」では店の派手すぎる装飾に圧倒されっ放し

「新世界」に接するジャンジャン横町の人気串カツ店てんぐ

「新世界」に接するジャンジャン横町の串カツ店てんぐには行列

土佐と横田は、というと、その日も有馬温泉にもう一泊して、神戸を観光してきたとのことでした。

2016.09.28 |

小牧市民駅伝奮戦記〜「チーム豊寿苑」初陣〈その3〉

レース終了後、全員でパークアリーナにて。左から1走田邊、2走上田、3走塚原、4走田中、アンカー加藤、神谷監督(クリックで拡大)

レース終了後、全員でパークアリーナにて。左から1走田邊、2走上田、3走塚原、4走田中、アンカー加藤、神谷監督(クリックで拡大)

なんとか野口柿花交差点東の4区中継地点にたどり着いた私は、神谷監督の車に乗せてもらいゴールのパークアリーナ小牧へ向かいました。

パークアリーナには、それぞれ1区と2区を走り終えた田辺君との上田さんがすでに到着していました。まもなく加藤君が無事にゴールを果たしました。

トータル・タイムは1時間43分56秒。総合成績は一般参加88チーム中78位でした。1キロ5分で走って1時間52分以内にゴールするのが目標だったので上出来だったと思います。

最後に、4区を走った田中さんが5区の中継地点から奥さんと一緒に歩いてパークアリーナに到着。こうして5人全員が再会しました。

全員で握手を交わしてお互いの健闘を称え合い、みんなで記念撮影しました。朝の緊張感はどこへやら、目標を成し遂げた開放感と達成感でみんな満面の笑顔でした。

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3区の中継地点で待ち受けている時に、坂道を駆け上がってきた上田さんの必死の形相、私を発見して、まるで海に溺れていたのを助けてもらったかのような安堵感に溢れた上田さんの表情が私の脳裏に強烈に焼き付きついています。

「後は自分に任せて安心して。あなたのがんばりはけっして無駄にしないから」。そういう思いがケガで万全とはいえない身体に活力を与えてくれました。

走るのは基本的に自分一人の力によるものですが、駅伝は自分一人だけではなく仲間の頑張りと期待を背負って走らなければなりません。だから、ものすごい重圧です。

しかし、いっぽうで、自分は自分一人の力だけで生きているんじゃない。多くの人たちの力を借りながら生きているんだ。そして、自分もまた、他の人たちの力になれているんだ。そのことを駅伝はあらためて気づかせてくれました。

さらに、私のような組織のトップと、入職してまだ年数が浅い若手スタッフたちとが、同じ仲間として平等にふれあい、ライバルとして競い合い、喜びを分かち合えたことも駅伝のすばらしさだと思います。

今回、いっしょに走った仲間たち、監督はじめ、サポートをしてくれた人たち、そして応援に来てくださったみなさんに心から感謝いたします。

(終)

平成27年12月16日 塚原立志記

なんとか野口柿花交差点東の4区中継地点にたどり着いた私は、神谷監督の車に乗せてもらいゴールのパークアリーナ小牧へ向かいました。
パークアリーナには、それぞれ1区と2区を走り終えた田辺君との上田さんがすでに到着していました。まもなく加藤君が無事にゴールを果たしました。
トータル・タイムは1時間43分56秒。総合成績は一般参加88チーム中78位でした。1キロ5分で走って1時間52分以内にゴールするのが目標だったので上出来だったと思います。
最後に、4区を走った田中さんが5区の中継地点から奥さんと一緒に歩いてパークアリーナに到着。こうして5人全員が再会しました。
全員で握手を交わしてお互いの健闘を称え合い、みんなで記念撮影しました。朝の緊張感はどこへやら、目標を成し遂げた開放感と達成感でみんな満面の笑顔でした。
3区の中継地点で待ち受けている時に、坂道を駆け上がってきた上田さんの必死の形相、私を発見して、まるで海に溺れていたのを助けてもらったかのような安堵感に溢れた上田さんの表情が私の脳裏に強烈に焼き付きついています。
「後は自分に任せて安心して。あなたのがんばりはけっして無駄にしないから」。そういう思いがケガで万全とはいえない身体に活力を与えてくれました。
走るのは基本的に自分一人の力によるものですが、駅伝は自分一人だけではなく仲間の頑張りと期待を背負って走らなければなりません。だから、ものすごい重圧です。
しかし、いっぽうで、自分は自分一人の力だけで生きているんじゃない。多くの人たちの力を借りながら生きているんだ。そして、自分もまた、他の人たちの力になれているんだ。そのことを駅伝はあらためて気づかせてくれました。
さらに、私のような組織のトップと、入職してまだ年数が浅い若手スタッフたちとが、同じ仲間として平等にふれあい、ライバルとして競い合い、喜びを分かち合えたことも駅伝のすばらしさだと思います。
今回、いっしょに走った仲間たち、監督はじめ、サポートをしてくれた人たち、そして応援に来てくださったみなさんに心から感謝いたします。

2015.12.17 | マラソン

小牧市民駅伝奮戦記〜「チーム豊寿苑」初陣〈その2〉


スタート前、全員でパークアリーナにて。左から1走田邊、2走上田、3走塚原、4走田中、アンカー加藤(クリックで拡大)

スタート前、全員でパークアリーナにて。左から1走田邊、2走上田、3走塚原、4走田中、アンカー加藤(クリックで拡大)

午前7時15分に豊寿苑の駐車場に集まり神谷監督の車で全員「パークアリーナ小牧」へ。

受付を済ませたあと、開会式に出席するため第1走者の田辺君とアンカーの加藤君を残して、上田さんと田中さんと私は監督の運転する車に乗り込んで、それぞれの中継地点まで送ってもらいました。

3区の私が待機する光ヶ丘第3公園は、桃花台ニュータウンの東の外れの高台にあります。光ヶ丘小学校と光ヶ丘中学校に面し、道路の下を中央高速道路が走っています。

この日は早朝に小雨のち曇天。風はほとんどなく12月とは思えない暖かさでした。選手は前の区の走者が到着する1時間以上前からこの殺風景な場所で時間をつぶさなければなりません。ウォーミングアップに近くへ走りに出かける人たち、ひたすらストレッチに励む人たち、友だち同士でおしゃべりしている人たちなど、さまざまな過ごし方をしていました。

私はというと、最近、お気に入りの「水曜日のカンパネラ」のアルバムを聴きながらテンションをハイにしていました。

第3中継地点、光ヶ丘第3公園で待機する選手たち

第3中継地点、光ヶ丘第3公園で待機する選手たち

トップが3区に到着したのは午前9時30分頃。そのあとに次々とランナーがやって来て、次の走者にたすきを引き継いでいきました。

中継地点の立ってまだかまだかと、やって来る先を眺めていると、9時45分頃、必死の形相で坂道を駆け上がってくる上田さんの姿を発見しました。

思わず「上田さーん!もう少しだ。ファイトッ!」と叫びました。すると、私に気づいた上田さんは、たすきを肩から外して手に握りしめると、最後の力をふりしぼって全力で走ってきました。

上田さんの差し伸ばされた手からたすきを受け取ると、私は「お疲れさま」と声掛けして駆け出しました。

「駅伝コース図 」PDF ファイルを開くには駅伝コース図をクリック

この時点で、私のすぐ前を行くランナーの姿は見えませんでした。それが住宅街から急坂を駆け下りて田園地帯に入ると、前を行くランナーの姿がとらえられました。そこでペースアップして追い込み、田んぼのど真ん中で追い抜きました。GPSウォッチで確認すると、ここまで1キロ4分20秒

ここからがコース最大の難関、愛知文教大学へ向かう急な上り坂になります。
坂に差しかかったときは、先を行くランナーはまだ豆粒のようでした。ところが、坂を上りきった頃には相手との距離はずいぶん縮まっていました。相手はへたばっている様子だったので、その先の東部工業団地の広い道路で徐々に追いつき追い抜きました。これで二人目。この坂でのラップは5分4秒

写真がないので11月8日に出場したいびがわマラソンから。どしゃ降り

写真がないので11月8日に出場したいびがわマラソンから。どしゃ降り

その直後、私の背後から若いランナーが迫ってきて、すっと追い抜いていきました。彼との間隔を約5、6メートルに保って、2.5kmぐらい走ったところで左折してターン。ここから年上坂を下ります。

下りの途中でもう一人とらえて追い抜きました。これで三人目。
私を追い抜いた若い彼も、少しへたばってきたようでしたので3.5km過ぎの下りで追い抜いてやりました。これで四人。

ところが、田園地帯に入ってゴールに近づいた4km付近で、その彼が最後の力をふりしぼって私を追い抜きました。一瞬、抜き返してやろうとも思いましたが、かなり疲れていたし「無理は禁物」と自分を戒めてマイペースを保ちました。

すると、直線道路の先に人びとが大勢集まっているのが見えてきました。第4中継地点です。私は途中で自分用に短く結び直したたすきの結び目を元に戻して肩から手に持ち替えると、最後の力をふりしぼって第4走者の田中さんにたすきを渡しました。

ゴールしてGPSウォッチを確認すると10時6分4.5kmを20分25秒キロ平均4分32秒で走った計算です。脚を故障していなかったら20分を切れたと思いますが、これがいまの自分にできる精一杯でした。

すかさず神谷監督が駆け寄ってきて「よく頑張った」と声を掛けてくれました。うれしかった。でも、それ以上に「なんとか自分の責任を果たせた」という安堵感の方が大きかったです。

(続く)

2015.12.17 | マラソン

小牧市民駅伝奮戦記〜「チーム豊寿苑」初陣〈その1〉

完走後、パークアリーナ小牧で全員揃って記念撮影。(クリックで拡大)

完走後、パークアリーナ小牧で全員揃って記念撮影。(クリックで拡大)

12月13日(日)、「市制60周年記念事業 第34回小牧市民駅伝競走大会」に「チーム豊寿苑」として初エントリーしました。
コースは、小牧山から北へ約1.5kmにある総合体育館「パークアリーナ小牧」をスタートし、市の東にあるニュータウン桃花台方面の先を迂回して、田園地帯を抜けて「パークアリーナ小牧」に帰ってくる総距離21.7km。これを5人(中学生は8人)でたすきをつないで走ります(コース図参照)。
各区間は次の通りです。
・1区 パークアリーナ小牧〜上水道管理センター(6.2km)
・2区 上水道管理センター〜光ヶ丘第3公園(3.3km)
・3区 光ヶ丘第3公園〜野口柿花交差点東(4.5km)
・4区 野口柿花交差点東〜味岡中学校(5.2km)
・5区 味岡中学校〜パークアリーナ小牧(2.6km)
といっても、小牧の人でないとピンとこないでしょうから、各区の特徴と見どころを書いておきます。
1区は、三菱重工などの工場や運送会社が立ち並ぶ幹線道路、国道155号線を東へほぼ一直線に走ります。緩い上りが続いたあと、下末(しもずえ)から上末(かみずえ)までの急な上り坂を駆け上がります。上水道管理センターは、坂を上った先の桃花台ニュータウンがあります。
2区は、桃花台ニュータウンの西の端から北へ回りこんで街の中心部を駆け抜け東へ抜けるコース。短距離ながら全体の7割以上が緩い上り坂なので侮れません。
3区は、春日井市と境を接する市の東端の丘陵を走ります。田園地帯から愛知文教大学の脇を通って東部工業団地へと駆け上がる坂道はコース屈指の急勾配。工業団地で折り返すと、自然に恵まれた田園地帯を西へ向かいます。
4区は、田園地帯を西へ走り、古い人家が集まる間道を抜けて県道27号線に入り、住宅が密集する味岡中学校までの平坦なコース。パークアリーナ小牧を午前9時にスタートしてから、最終中継地点の味岡中学校に10時40分までに到着しないと繰り上げスタートになってしまいます。
最終区の5区は、ゴールのパークアリーナ小牧までひたすら住宅地を駆け抜けます。短距離なので各チームではスピード自慢のランナーを起用します。
「チーム豊寿苑」のメンバーと担当は次の通り。
・1区 田邊正太(たなべ・しょうた)4階介護
・2区 上田洋史(うえだ・ひろし)平岩器械(豊寿苑に医療介護機器や衛生材料などを収めてもらっている営業担当の人)
・3区 塚原立志(つかはら・たつし)GM(筆者)
・4区 田中雅之(たなか・まさゆき)PT
・5区 加藤尊孝登(かとう・みこと)3階介護
・監督 神谷正(かみや・まさし)営繕
田邊君と加藤君こそ20代前半ですが、田中さんは40代、上田さんと私は50代、神谷監督は70代というおじさんチームです。
まず私ですが、11月8日に「いびがわマラソン」を走った際に右のスネの内側を故障してしまい(シンスプリントといいます)、1ヶ月近く走っていませんでした。
元ラガーマンの上田さんは、意気込みではチーム1でしたが、はりきりすぎて練習中にふくらはぎを痛めてしまい、一度は出場辞退を申し出てきたほどでした。
田中さんは田中さんで、コーチをしている小学生バスケットボール・チーム、マーベリックスの指導にかかりきりで、自分のトレーニングどころではんかったようです。
となると、若手2人に期待がかかるところですが、試走の時には2人とも迷子になるは、その後も真剣に練習しているように見受けられないはで、神谷監督、相当焦っていました。
出場チーム数は、〈一般の部〉が89チーム、〈高校の部〉が15チーム、〈中学男子の部〉が25チーム、〈中学女子の部〉が14チーム。
小牧には工場がたくさんあるので、地元の工場や企業のチームが多数参加していました。なかでも三菱重工関連のチームがいくつも出ていました。自衛隊、消防隊、警察隊、市役所、教員などの公務員チームも目立っていました。もちろん、ラン仲間でのチーム出場もあります。いってみれば、我々では足元にも及ばないような強豪ぞろい。
だから、目標をたすきをつなげて完走することに定めました。
これって簡単なことのように思えるかもしれませんが、繰り上げスタートを避けるには、アンカーを除く全員で1キロ平均5分以内で走らないといけない計算になります。現在の私たちの実力では達成できるか微妙と判断した、神谷監督は各選手に速度のノルマを課してきたのです。
軽いお遊び感覚でのエントリーだったのが、ここに来て真剣勝負の様相を呈してきました。
さあ、チーム豊寿苑の運命やいかに!
(続く)


平成27年12月13日(日)、「市制60周年記念事業 第34回小牧市民駅伝競走大会」「チーム豊寿苑」として初エントリーしました。

コースは、小牧山から北へ約1.5kmにある総合体育館パークアリーナ小牧をスタートし、市の東にあるニュータウン桃花台方面の先を迂回して、田園地帯を抜けて「パークアリーナ小牧」に帰ってくる総距離21.7km。これを5人(中学生は8人)でたすきをつないで走ります(下記「駅伝コース図」PDFをクリック)

駅伝コース図

各区間は次の通りです。

・1区 パークアリーナ小牧〜上水道管理センター(6.2km)
・2区 上水道管理センター〜光ヶ丘第3公園(3.3km)
・3区 光ヶ丘第3公園〜野口柿花交差点東(4.5km)
・4区 野口柿花交差点東〜味岡中学校(5.2km)
・5区 味岡中学校〜パークアリーナ小牧(2.6km)

といっても、小牧の人でないとピンとこないでしょうから、各区の特徴と見どころを書いておきます。

1区は、三菱重工などの工場や運送会社が立ち並ぶ幹線道路、国道155号線を東へほぼ一直線に走ります。緩い上りが続いたあと、下末(しもずえ)から上末(かみずえ)までの急な上り坂を駆け上がります。上水道管理センターは、坂を上った先の桃花台ニュータウンがあります。

2区は、桃花台ニュータウンの西の端から北へ回りこんで街の中心部を駆け抜け東へ抜けるコース。短距離ながら全体の7割以上が緩い上り坂なので侮れません。

3区は、春日井市と境を接する市の東端の丘陵を走ります。田園地帯から愛知文教大学の脇を通って東部工業団地へと駆け上がる坂道はコース屈指の急勾配。工業団地で折り返すと、自然に恵まれた田園地帯を西へ向かいます。

4区は、田園地帯を西へ走り、古い人家が集まる間道を抜けて県道27号線に入り、住宅が密集する味岡中学校までの平坦なコース。パークアリーナ小牧を午前9時にスタートしてから、最終中継地点の味岡中学校に10時40分までに到着しないと繰り上げスタートになってしまいます。

最終区の5区は、ゴールのパークアリーナ小牧までひたすら住宅地を駆け抜けます。短距離なので各チームではスピード自慢のランナーを起用します。

「チーム豊寿苑」のメンバーと担当は次の通り。

1区 田邊正太(たなべ・しょうた)4階介護

早朝すでにウォーミングアップしてきたという田辺君

早朝走って現れた田邉君。あれだけ説明したのに豊寿苑ゼッケンとナンバーの位置を上下逆に付けています(笑)

2区 上田洋史(うえだ・ひろし)平岩器械(豊寿苑に医療介護機器や衛生材料などを収めてもらっている営業担当の人)

熱意だけなら松岡修造にも引けを取っていない上田さん

熱意だけなら松岡修造にも引けを取っていないマッチョ上田

3区 塚原立志(つかはら・たつし)GM(筆者)

54歳になっても若い者への闘争心むき出しの私

54歳になっても若い者への闘争心むき出しの私

4区 田中雅之(たなか・まさゆき)PT

個性派集団の中では一番まともだった田中さん。さすがPTA会長!

個性派集団の中では一番まともだった田中さん。さすがPTA会長!

加藤尊孝登(かとう・みこと)3階介護

優しい野獣、加藤君。緊張のあまりシャツを前後間違えて着てしまいました(笑)

優しい野獣、加藤君。ゼッケンはヨレヨレ。緊張のあまりシャツを前後間違えて着ています(笑)

監督 神谷正(かみや・まさし)営繕

チームを熱い思いで引っ張ってくれた神谷監督78歳。若い!

こちらもゼッケンがヨレヨレ。チームを熱い思いで引っ張ってくれた神谷監督78歳。若い!


田邊君と加藤君こそ20代前半ですが、田中さんは40代、上田さんと私は50代、神谷監督は70代というおじさんチームです。

まず私ですが、11月8日に「いびがわマラソン」を走った際に右のスネの内側を故障してしまい(シンスプリントといいます)、1ヶ月近く走っていませんでした。

元ラガーマンの上田さんは、意気込みではチーム1でしたが、はりきりすぎて練習中にふくらはぎを痛めてしまい、一度は出場辞退を申し出てきたほどでした。

田中さんは田中さんで、コーチをしている小学生バスケットボール・チーム、マーベリックスの指導にかかりきりで、自分のトレーニングどころではなかったようです。

となると、若手2人に期待がかかるところですが、試走の時には2人とも迷子になるは、その後も真剣に練習しているように見受けられないはで、神谷監督、相当焦っていました。

出場チーム数は、〈一般の部〉が89チーム、〈高校の部〉が15チーム、〈中学男子の部〉が25チーム、〈中学女子の部〉が14チーム

小牧には工場がたくさんあるので、地元の工場や企業のチームが多数参加していました。なかでも三菱重工関連のチームがいくつも出ていました。自衛隊消防隊警察隊市役所教員などの公務員チームも目立っていました。もちろん、ラン仲間でのチーム出場もあります。いってみれば、我々では足元にも及ばないような強豪ぞろい

だから、目標をたすきをつなげて完走することに定めました。

これって簡単なことのように思えるかもしれませんが、繰り上げスタートを避けるには、アンカーを除く全員で1キロ平均5分以内で走らないといけない計算になります。現在の私たちの実力では達成できるか微妙と判断した、神谷監督は各選手に速度のノルマを課してきたのです。

軽いお遊び感覚でのエントリーだったのが、ここに来て真剣勝負の様相を呈してきました。

さあ、チーム豊寿苑の運命やいかに!

(続く)

2015.12.16 | マラソン

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