8月も今日で終わりというのに日中33℃真夏日の予報。
とはいえ、早朝はずいぶん過ごしやすくなってきたので1日おきぐらいのペースでランニングするようになりました。
日の出は5時20分ぐらいなので、だいたい、その1時間前に自宅をスタートしました。
星の下、大山川沿いの真っ暗な緑道を北へ30分ぐらい走ったところで、ようやくあたりが白み始めました。ちょうど5km。
ここから川筋を少しそれて、一面に広がる田んぼのなかを真っ直ぐに伸びる用水路沿いの農道を東に向けて走りました。
見上げれば明けの明星である金星が輝き、視線を落とすと弥勒山(みろくやま)・大谷山・道樹山が稜線を赤く染め始めました。
すこし明るくなるにつれ、山々の真上の空に逆くの字型に伸びる帯雲があらわれて、世にも美しい紫色に染まっていました。
浄土思想では、臨終の時、阿弥陀如来が紫雲(しうん)に乗ってお迎えに来られるといいます。
「紫雲たなびく」というように、これはありがたい瑞兆とされ、まさかお目にかかれるとは思ってもいませんでした。走りながら、思わず手を合わせ拝んでしまいました。
この現象は、日の出の“赤”と空の“青”とが混じり合い、雲をスクリーンとして紫色に染めたせいだと思います。それは5時6分から5時11分のわずか5分間だけでした。
折返しの「ホタルの里」手前でキバナコスモスを撮った5時29分には、ご覧のとおり、雲は薄い朱色がかっていました。
コロナ以前は各地で開かれるフルマラソンやウルトラマラソンの大会に出場していいタイムを出すことが喜びでしたが、現在はこのように、人も車もほとんどいない夜明け前、大山川沿いの緑道を一人っきりで自然と向き合いながら20km、約2時間かけてランニングすることがなによりもの癒やしであり喜びになりました。
2023.08.31 | マラソン
2月27日に開催予定の「第10回大阪マラソン」について、大阪府の吉村知事は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う医療体制のひっ迫を考慮して一般ランナーの参加を見送る判断をしました。
昨年の第4波に続き、今回の第6波でも全国ワーストの死者数を出す医療提供体制の大阪が、そもそも、2万人もの市民ランナーを集めてマラソン大会を開催する決定をしたこと自体、時期尚早と思っていました。だから、今回の知事の判断はあたりまえだし、「まん延防止等重点措置」が発出された段階で決定を出すべきでした。
ところが、この判断に対し、ホリエモンこと堀江貴文氏がツイッターで次のように批判しました。
「笑。マラソンに向けてコンディション整えてたランナーの精神的な落ち込みとか気にしてんのかなー。やる気まじなくなるよね。こういう適当な対応されると。単に自分の政治的生命の先行きしかみてねーよな。有権者のマジョリティが高齢者だからな。なんかさ、残念だな」
「それでせっかく普段から運動して健康レベルを高く保つ人たちを蔑ろにしてほっといても健康レベルが低い人たちの延命に邁進する。マジで短期的政治生命だけを考えた対応で失望した」
この発言でまず感じたのは「生産性の低い高齢者は早く死んだほうがよい」といわんばかりの露骨な優生思想です。
このような考え方は、人命よりも経費削減を優先して医療崩壊を招いた当の大阪維新の会にも共通するところですが、ホリエモンからすれば「少しはマトモ」と思っていた吉村知事が「転んだ」ことにガマンがならなかったのでしょう。
まったく、クレイジーとしかいいようがない暴言ですが、なかでも違和感を禁じえなかったのは「マラソンに向けてコンディション整えてたランナーの精神的な落ち込み」(ママ)とか、「せっかく普段から運動して健康レベルを高く保つ人たちを蔑ろにしてほっといて」とか、まるで市民ランナーの気持ちを代弁しているかのように語っている点です。
フルマラソンや100kmウルトラマラソンを何度も走ってきた経験からわたしは、このような発言ができるのは、彼がフルマラソンを走ったことがないからだと思います。
マラソンは過酷です。走っていると身も心も限界に近づきます。そんなとき、くじけそうな自分の背中を押してくれるのは沿道の人たちからの声援であり家族や友人たちの存在です。
こういうと、新自由主義者のホリエモンは、きっと「笑。意志が弱いだけの甘ったれ小僧」などと木で鼻をくくったような態度をとることでしょう。
しかし、100kmとなると、どんなにコンディションを整えていても、自分の力だけを頼りには走破できません。70kmに差しかかる頃には体力は限界に達し、リタイアしたい気持ちと葛藤しながら気力だけで走っています。いつしか、ランナー同士に競争意識は失せて、励まし合いながらゴールをめざそうという連帯意識が芽生えています。
そして、ゴールできたときには、自分はおのれ一人の力で生きているのではなく、多くの人たちによって支えてもらっているんだという感謝の気持ちでいっぱいになります。きれいごとのように思われるでしょうが、これは実感です。
また、マラソン・ランナーはだれもが故障して走れない時期を経験しているはずです。だから、参加の中止は残念だったとしても、「健康レベルが低い人たち」を押しのけてまで、自分が健康レベルを高く保ちたいとは絶対に思わない、とわたしはいいたい。
ホリエモン、あなたごときにランナーの気持ちを代弁されるいわれはない。
2022.02.19 | マラソン
なんとか野口柿花交差点東の4区中継地点にたどり着いた私は、神谷監督の車に乗せてもらいゴールのパークアリーナ小牧へ向かいました。
パークアリーナには、それぞれ1区と2区を走り終えた田辺君との上田さんがすでに到着していました。まもなく加藤君が無事にゴールを果たしました。
トータル・タイムは1時間43分56秒。総合成績は一般参加88チーム中78位でした。1キロ5分で走って1時間52分以内にゴールするのが目標だったので上出来だったと思います。
最後に、4区を走った田中さんが5区の中継地点から奥さんと一緒に歩いてパークアリーナに到着。こうして5人全員が再会しました。
全員で握手を交わしてお互いの健闘を称え合い、みんなで記念撮影しました。朝の緊張感はどこへやら、目標を成し遂げた開放感と達成感でみんな満面の笑顔でした。
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3区の中継地点で待ち受けている時に、坂道を駆け上がってきた上田さんの必死の形相、私を発見して、まるで海に溺れていたのを助けてもらったかのような安堵感に溢れた上田さんの表情が私の脳裏に強烈に焼き付きついています。
「後は自分に任せて安心して。あなたのがんばりはけっして無駄にしないから」。そういう思いがケガで万全とはいえない身体に活力を与えてくれました。
走るのは基本的に自分一人の力によるものですが、駅伝は自分一人だけではなく仲間の頑張りと期待を背負って走らなければなりません。だから、ものすごい重圧です。
しかし、いっぽうで、自分は自分一人の力だけで生きているんじゃない。多くの人たちの力を借りながら生きているんだ。そして、自分もまた、他の人たちの力になれているんだ。そのことを駅伝はあらためて気づかせてくれました。
さらに、私のような組織のトップと、入職してまだ年数が浅い若手スタッフたちとが、同じ仲間として平等にふれあい、ライバルとして競い合い、喜びを分かち合えたことも駅伝のすばらしさだと思います。
今回、いっしょに走った仲間たち、監督はじめ、サポートをしてくれた人たち、そして応援に来てくださったみなさんに心から感謝いたします。
(終)
平成27年12月16日 塚原立志記
2015.12.17 | マラソン
午前7時15分に豊寿苑の駐車場に集まり神谷監督の車で全員「パークアリーナ小牧」へ。
受付を済ませたあと、開会式に出席するため第1走者の田辺君とアンカーの加藤君を残して、上田さんと田中さんと私は監督の運転する車に乗り込んで、それぞれの中継地点まで送ってもらいました。
3区の私が待機する光ヶ丘第3公園は、桃花台ニュータウンの東の外れの高台にあります。光ヶ丘小学校と光ヶ丘中学校に面し、道路の下を中央高速道路が走っています。
この日は早朝に小雨のち曇天。風はほとんどなく12月とは思えない暖かさでした。選手は前の区の走者が到着する1時間以上前からこの殺風景な場所で時間をつぶさなければなりません。ウォーミングアップに近くへ走りに出かける人たち、ひたすらストレッチに励む人たち、友だち同士でおしゃべりしている人たちなど、さまざまな過ごし方をしていました。
私はというと、最近、お気に入りの「水曜日のカンパネラ」のアルバムを聴きながらテンションをハイにしていました。
トップが3区に到着したのは午前9時30分頃。そのあとに次々とランナーがやって来て、次の走者にたすきを引き継いでいきました。
中継地点の立ってまだかまだかと、やって来る先を眺めていると、9時45分頃、必死の形相で坂道を駆け上がってくる上田さんの姿を発見しました。
思わず「上田さーん!もう少しだ。ファイトッ!」と叫びました。すると、私に気づいた上田さんは、たすきを肩から外して手に握りしめると、最後の力をふりしぼって全力で走ってきました。
上田さんの差し伸ばされた手からたすきを受け取ると、私は「お疲れさま」と声掛けして駆け出しました。
「駅伝コース図 」PDF ファイルを開くには駅伝コース図をクリック
この時点で、私のすぐ前を行くランナーの姿は見えませんでした。それが住宅街から急坂を駆け下りて田園地帯に入ると、前を行くランナーの姿がとらえられました。そこでペースアップして追い込み、田んぼのど真ん中で追い抜きました。GPSウォッチで確認すると、ここまで1キロ4分20秒。
ここからがコース最大の難関、愛知文教大学へ向かう急な上り坂になります。
坂に差しかかったときは、先を行くランナーはまだ豆粒のようでした。ところが、坂を上りきった頃には相手との距離はずいぶん縮まっていました。相手はへたばっている様子だったので、その先の東部工業団地の広い道路で徐々に追いつき追い抜きました。これで二人目。この坂でのラップは5分4秒。
その直後、私の背後から若いランナーが迫ってきて、すっと追い抜いていきました。彼との間隔を約5、6メートルに保って、2.5kmぐらい走ったところで左折してターン。ここから年上坂を下ります。
下りの途中でもう一人とらえて追い抜きました。これで三人目。
私を追い抜いた若い彼も、少しへたばってきたようでしたので3.5km過ぎの下りで追い抜いてやりました。これで四人。
ところが、田園地帯に入ってゴールに近づいた4km付近で、その彼が最後の力をふりしぼって私を追い抜きました。一瞬、抜き返してやろうとも思いましたが、かなり疲れていたし「無理は禁物」と自分を戒めてマイペースを保ちました。
すると、直線道路の先に人びとが大勢集まっているのが見えてきました。第4中継地点です。私は途中で自分用に短く結び直したたすきの結び目を元に戻して肩から手に持ち替えると、最後の力をふりしぼって第4走者の田中さんにたすきを渡しました。
ゴールしてGPSウォッチを確認すると10時6分。4.5kmを20分25秒。キロ平均4分32秒で走った計算です。脚を故障していなかったら20分を切れたと思いますが、これがいまの自分にできる精一杯でした。
すかさず神谷監督が駆け寄ってきて「よく頑張った」と声を掛けてくれました。うれしかった。でも、それ以上に「なんとか自分の責任を果たせた」という安堵感の方が大きかったです。
2015.12.17 | マラソン
平成27年12月13日(日)、「市制60周年記念事業 第34回小牧市民駅伝競走大会」に「チーム豊寿苑」として初エントリーしました。
コースは、小牧山から北へ約1.5kmにある総合体育館「パークアリーナ小牧」をスタートし、市の東にあるニュータウン桃花台方面の先を迂回して、田園地帯を抜けて「パークアリーナ小牧」に帰ってくる総距離21.7km。これを5人(中学生は8人)でたすきをつないで走ります(下記「駅伝コース図」PDFをクリック)。
各区間は次の通りです。
・1区 パークアリーナ小牧〜上水道管理センター(6.2km)
・2区 上水道管理センター〜光ヶ丘第3公園(3.3km)
・3区 光ヶ丘第3公園〜野口柿花交差点東(4.5km)
・4区 野口柿花交差点東〜味岡中学校(5.2km)
・5区 味岡中学校〜パークアリーナ小牧(2.6km)
といっても、小牧の人でないとピンとこないでしょうから、各区の特徴と見どころを書いておきます。
1区は、三菱重工などの工場や運送会社が立ち並ぶ幹線道路、国道155号線を東へほぼ一直線に走ります。緩い上りが続いたあと、下末(しもずえ)から上末(かみずえ)までの急な上り坂を駆け上がります。上水道管理センターは、坂を上った先の桃花台ニュータウンがあります。
2区は、桃花台ニュータウンの西の端から北へ回りこんで街の中心部を駆け抜け東へ抜けるコース。短距離ながら全体の7割以上が緩い上り坂なので侮れません。
3区は、春日井市と境を接する市の東端の丘陵を走ります。田園地帯から愛知文教大学の脇を通って東部工業団地へと駆け上がる坂道はコース屈指の急勾配。工業団地で折り返すと、自然に恵まれた田園地帯を西へ向かいます。
4区は、田園地帯を西へ走り、古い人家が集まる間道を抜けて県道27号線に入り、住宅が密集する味岡中学校までの平坦なコース。パークアリーナ小牧を午前9時にスタートしてから、最終中継地点の味岡中学校に10時40分までに到着しないと繰り上げスタートになってしまいます。
最終区の5区は、ゴールのパークアリーナ小牧までひたすら住宅地を駆け抜けます。短距離なので各チームではスピード自慢のランナーを起用します。
「チーム豊寿苑」のメンバーと担当は次の通り。
・1区 田邊正太(たなべ・しょうた)4階介護
・2区 上田洋史(うえだ・ひろし)平岩器械(豊寿苑に医療介護機器や衛生材料などを収めてもらっている営業担当の人)
・3区 塚原立志(つかはら・たつし)GM(筆者)
・4区 田中雅之(たなか・まさゆき)PT
・5区 加藤尊孝登(かとう・みこと)3階介護
・監督 神谷正(かみや・まさし)営繕
田邊君と加藤君こそ20代前半ですが、田中さんは40代、上田さんと私は50代、神谷監督は70代というおじさんチームです。
まず私ですが、11月8日に「いびがわマラソン」を走った際に右のスネの内側を故障してしまい(シンスプリントといいます)、1ヶ月近く走っていませんでした。
元ラガーマンの上田さんは、意気込みではチーム1でしたが、はりきりすぎて練習中にふくらはぎを痛めてしまい、一度は出場辞退を申し出てきたほどでした。
田中さんは田中さんで、コーチをしている小学生バスケットボール・チーム、マーベリックスの指導にかかりきりで、自分のトレーニングどころではなかったようです。
となると、若手2人に期待がかかるところですが、試走の時には2人とも迷子になるは、その後も真剣に練習しているように見受けられないはで、神谷監督、相当焦っていました。
出場チーム数は、〈一般の部〉が89チーム、〈高校の部〉が15チーム、〈中学男子の部〉が25チーム、〈中学女子の部〉が14チーム。
小牧には工場がたくさんあるので、地元の工場や企業のチームが多数参加していました。なかでも三菱重工関連のチームがいくつも出ていました。自衛隊、消防隊、警察隊、市役所、教員などの公務員チームも目立っていました。もちろん、ラン仲間でのチーム出場もあります。いってみれば、我々では足元にも及ばないような強豪ぞろい。
だから、目標をたすきをつなげて完走することに定めました。
これって簡単なことのように思えるかもしれませんが、繰り上げスタートを避けるには、アンカーを除く全員で1キロ平均5分以内で走らないといけない計算になります。現在の私たちの実力では達成できるか微妙と判断した、神谷監督は各選手に速度のノルマを課してきたのです。
軽いお遊び感覚でのエントリーだったのが、ここに来て真剣勝負の様相を呈してきました。
さあ、チーム豊寿苑の運命やいかに!
2015.12.16 | マラソン