毒と薬

「身体拘束」について考える

昨年12月、計2回にわたって、当施設の主に看護と介護スタッフを対象に「身体拘束」「高齢者虐待」についてのセミナーを開きました。企画・構成・デザイン・出演はすべて私一人でやりました。

レジュメを読みながらこちらが一方的に話すだけでは、スタッフは退屈でしょうし頭に入ってこないと思ったので、パワーポイントでビジュアルを中心にスクリーンに映し、かれらの様子を見ながらフレクシブルに流れを作っていくライヴ・パフォーマンス・スタイルでおこないました。

今回、主要な題材として、平成29年11月19日〜12月10日、朝日新聞の日曜版「フォーラム」で全4回にわたって特集された「身体拘束」の記事を選びました。

それらは「身体拘束」に関わるデジタルアンケートの結果を示したグラフとさまざまな意見から構成されています。

このアンケートで興味深かったのは、「『身体拘束』は本人や周りの人を守るためにやむをえないと思うか?」の質問に対して、「安全を優先すべき」と答えた人たちの大部分が、身体拘束について「ニュースなどで聞いたことがある」、あるいは「職場や家庭で拘束に関わったことがある」と答えた人たちだったことです。

いっぽう、同じ質問に対し「本人の尊厳を優先すべき」と答えた人たちの多くは「自分や家族が身体拘束を受けたことがある」と答えていました。

つまり、身体拘束を〝他人事〟と思えるような人たちほど、尊厳より安全重視の考えが強いということです。

看護・介護の現場では業務の効率的な遂行が求められるせいで、尊厳より安全重視に向かいがちということなのでしょうか?

スライド04

(図1)朝日新聞のグラフをもとに再作成

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2018.01.04 | 介護社会論

良い「気」と悪い「気」〜 新年会/インフルエンザ/豆まき


今年の新年会には約100名が出席されました。

今年の新年会には約100名が出席されました。

しばらくのごぶさたでした。
ご報告したように、今年1月20日頃から当苑でインフルエンザの集団感染が発生しました。スタッフ一丸となって治療と感染の拡大防止に努め、ようやくインフルエンザが終息してきたと思ったら、今度は胃腸風邪が流行。

日頃から未然の感染対策を心がけてきたつもりでしたが、このような結果を招いてしまったのは、私たちの取り組みに足りないところがあったということです。深く反省し、教訓として今後の備えに活かしていきたいと思います。

今回の集団感染のきっかけは、1月18日(日)に開催した「新年会」でした。

新年会は、ご利用者とその家族の方々が席を並べて食事をしながらめでたい演し物を楽しんでいただく毎年恒例の行事です。今年はご利用者とご家族、合わせて約100名の方々に出席いただきました。
今年は沖縄民謡の濱盛重則(はまもりしげのり)さん(通称ハマちゃん)と宮野ほたるさん、そして、エイサーを演じる二人の若者が来てくれました。

三線を弾き語るハマちゃんとホタルさん

三線を弾き語るハマちゃんとホタルさん

三線(さんしん)の弾き語りで次々と繰り出される、明るく、ときにペーソスに溢れた島唄、童謡・唱歌たち。後半は沖縄の派手な衣装に身を包んだ男女の若者二人は、ハマちゃんの歌に合わせて雄壮な太鼓パフォーマンスを披露してくれました。アンコールでは、私を含むスタッフたちも音楽に合わせて沖縄踊りをしながらご利用者の席をまわりました。例年以上に、にぎやかで盛り上がったイベントでした。

若者たちは派手で雄壮なエイサーを披露してくれました。

若者たちは派手で雄壮なエイサーを披露してくれました。

 

ところが、その日の夜当たりからご利用者に体調不良者が出てきました。検査してみたところインフルエンザであることが判明。おそらくご家族を通じてウィルスが持ち込まれたと思われます。新年会を開くようになって20年近くになりますが、このようなことは初めてでした。

小牧駅から徒歩2分で、いつでも気軽に家族と会える風通しのよさが当施設の売りでもあったのですが、今回はそのことが仇になってしまったようです。

今回のことで一部のスタッフから、集団感染のあるなしにかかわらず、インフルエンザの季節には家族や知人の面会を制限すべきだとの意見も出ました。しかし、家族から引き離され、ただでさえ寂しい思いをされているにちがいないご利用者なのに、面会の機会を制限してしまうというのはあまりに不憫です。現場としてリスクを最小限に抑えたい気持ちは理解できますが、それは子どもたちが事故を起こさないように公園から遊具を撤去してしまうのと似て、本末転倒だと思います。

 

2月3日の節分の日、インフルエンザが終息に向かってきたこともあって、厄を祓いたいという願いから豆まきの行事を実行しました。

日本人は古くから、良いものも、悪いものも、共同体の外からやって来る、目には見えない空気のようなもの、「気(キ)」であると考えていました。そして、良い「気」は 〈カミ〉 、悪い「気」は 〈鬼(キ/オニ)〉 とされました。悪い「気」の最たるものが「病気」です。

現代の医療では病気は、人間の科学と技術によって制圧されるべきものです。しかし、昔の人たちにとって病気を治すとは、外へ追い出すこと、つまり払う=祓うことでした。豆まき/鬼やらいはそういうものでした。〈鬼〉をおだてて〈カミ〉として「祀(まつ)り上げる」ことが「祭り」の起源とされますが、〈鬼〉を外に追い出す代わりに、内に封じ込めるという違いはありますが、考え方は同じでしょう。

今回、集団感染という苦い経験をして、人間が自分たちの都合のいいように自然をコントロールしようとする考えがいかに思い上がりであるかということを思い知らされました。どんなに心がけていても、災厄が身に降りかかることは避けられません。いまさらリスク・マネージメントというヤボな言葉を使うつもりはありませんが、人間は最終的には自然に逆らえないことを受けとめたうえで、災厄とどう対していくかが問われているのだと思います。

2015.02.26 | 介護社会論歳時記

認知症と音楽療法〜映画『パーソナル・ソング』を観て【3】

最後に、映画を観たスタッフたちに感想をまとめておきます。

みな感動していたようでした。なかには涙が止まらなくなったスタッフもいました。
同時に、自分たちの介護のあり方を反省するいい機会になったという意見も多く寄せられました。

いっぽうで、現場ならではのこんな意見もありました。

「本人にとってはたしかにいいことだと思いますが、これをおこなうには家族の理解と協力が不可欠です。ただ、そうまでして家族がそれを望むとは考えにくい気がします。本人以上に家族のニードをいかにかなえられるかが私たちの仕事になっていますから。

「何年間も歩行器を使って移動していた人が、音楽を聴いて突然、自力でダンスを始めたシーンがありましたが、もし転倒して骨折でもしたらどうするのか、とヒヤヒヤしながら観ていました。」

映画で向精神薬が投与されているシーンがありましたが、豊寿苑では強い抗精神病薬こそ使っていませんが、睡眠薬が処方されることはあります。このことについて、認知症が重い人たちのフロアを担当しているスタッフはこういっていました。

「夜間に大声で騒ぎ立てたり、暴れまわったりする人がいると、他の入所者にまで影響が出てしまうのでやむをえないと思う。」

「それは理解できるが、こうしたことが繰り返されるうちに睡眠薬投与が常態化してしまう点についてどう思うか」の問いに、当人が黙ってしまったので別のスタッフが答えました。

「睡眠薬の服用は入所前からのケースが大半です。なかには自分から睡眠薬を要求される方もいるぐらいです。

要するに「自分たちのせいじゃない」と。現場のスタッフも「当事者主権」について頭ではわかっていても、慢性的な人手不足にあえぐ介護の現場で日常業務を遂行していくとなると、個人の自由よりも安全を第一に考えざるをえなくなって、それが免罪符となって感覚が麻痺してしまうという悪循環です。

だからといって、彼らばかりを責めるのはお門違いで、私をはじめ、事業者、行政、家族などにも問題はあります。介護人材の不足といい、介護財源の問題といい、受け皿としての家族や地域共同体の弱体化といい、「本人のためにパーソナル・ソングを!」とどんなに思っても、それをサポートする側の足腰がこんなに不安定なのではとてもやりきれない、というのが現場の正直な声なのです。

(終)

※ 映画『パーソナル・ソング』は、2014年12月6日から全国の映画館で順次公開しています。(2014年12月18日現在)

『パーソナル・ソング』についての私の映画評は、2014年12月20日発売予定の『ミュージック・マガジン』1月号に掲載されます。

2014.12.18 | 介護社会論

命を守るのは設備よりも人〜福岡の有床診療所火災を受けて

10月11日未明、福岡市にある有床診療所(19床)で火災が発生。

入院患者と前院長夫妻の計10人が亡くなられました。 この報に接したとき、まず思ったのが「火の元がほとんどないはずの診療所でどうして火災が?」ということでした。 続報で出火元はリハビリ室にある温熱療法に使うホットパック装置とのこと。装置のプラグ(差し込む方)を長い間、コンセント(差し込まれる方)に差し込んだままにしておいたために、コンセントとプラグの間にほこりがたまり、ほこりが湿気を呼び込み、プラグの絶縁状態が悪くなって発火したということでしょう。「トラッキング現象」と呼ばれているものです。

ホットパック装置とは、ホットパックを温めておく熱湯の水槽のこと。当法人のリハビリ室にもありますが、お湯を使うことから、コンセントは差し込み口が下を向いたカバー付きの防水コンセントにするのがふつうです。しかもプラグをコンセントにねじ込む仕様なので、プラグとコンセントとの間にほこりがたまるすきまはほとんどありません。ということは、今回の火災でリハビリ室のホットパック装置が火元だったというのが本当なら、コンセントは防水タイプではなかったと考えたほうがいいと思います。

リハビリ室のホットパック装置。フタを開けたところ

リハビリ室のホットパック装置。フタを開けたところ

ホットパック装置のプラグは防水コンセントに差し込んである。

ホットパック装置のプラグは防水コンセントに差し込んである。

もうひとつ、個人的に気になるのは、火災時、鉛のピンが熱で溶け自動で閉まるはずの防火扉が作動しなかったせいで被害が拡大したといわれている点です。

今回の火災を受けて、当法人でも緊急に火災設備の点検をおこないました。
とくに塚原外科・内科には、2階と3階の一部に、福岡の有床診療所と同じ19床の入院病床があり、同じようなタイプの防火扉と防火シャッターが設置されています。指摘されているように、これらは建築基準法の対象であり、消防法の点検項目ではないことから、防火管理者である私自身、今回の点検で初めてくわしく動作確認した次第です。

そのとき思ったのは、この程度のシンプルな構造なら、もし防火扉が自動で閉まらなかったとしても、夜勤の看護師が手動で防火扉を閉めに行くことはできたかもしれない、ということです。

当診療所の防火シャッター。点検は天井裏のヒモを引いて手動でおこなう。

当診療所1階の防火シャッター。

そのほかにも有床診療所にスプリンクラー設備の設置義務がなかったことが指摘されています。たしかにスプリンクラーが備わっていれば、あれほどまでの被害にはならなかったと思います。
塚原外科・内科は、福岡市の有床診療所と同じく、転換型の療養病床19床の「有床診療所」です。「病院」に長期間、入院するのが難しく、といって老人保健施設に入所するには医療的なニードが高く看護師による見守りが常時必要なお年寄りがおもに入院されています。
患者一人あたりの保険給付額は、診療報酬改定のたびごとに下げられ、患者さんからいただく室料がなければ完全に赤字経営というのが実情です。今回の火災を受け、有床診療所にもスプリンクラーの設置の義務づけが検討されているようですが、そうなれば、おそらく病床を閉鎖するしかないでしょう。

当診療所2階の病棟廊下。左に防火扉。上が避難誘導灯。右が避難階段。

当診療所2階の病棟廊下。左に防火扉。上が通路誘導灯。右が避難階段。

当診療所2階の病室廊下の防火扉を閉めたところ(病室側から撮影)。

当診療所2階の病室廊下の防火扉を閉めたところ(病室側の廊下から撮影)。

このように、今回の有床診療所の火災についてハード面の不備ばかりがいわれていますが、気になるのは火事に最初に気づいた看護師の不可解な行動です。「外に出て、通りかかったタクシー運転手に通報を頼んだ」という新聞報道が本当なら、従業員への防火管理教育はちゃんとおこなわれていたのか、疑問を持たざるをえません。大切なのは、通報、初期消火、避難誘導など、従業員への防火管理意識の徹底です。防火管理教育が従業員にしっかり行き届いていなかったことが被害が拡大した大きな要因だったのでは、私は考えます。

当法人では、6月と11月の年2回、豊寿苑と外科・内科の従業員を対象にした消防訓練をおこなっています。たまたま11月に夜間想定訓練の実施届出書を消防署に提出しようとしていた矢先に今回の火災がありました。
そこで今回は急きょ内容を変更して、豊寿苑ではなく診療所の1階から深夜、出火したとの想定で通報、初期消火、避難誘導訓練をおこなうつもりです。

大切な命を守れるのは、最終的には設備や機械ではなくひとなのです。

2013.10.23 | 介護社会論

なんでも事務長のせい?〜松浦病院の不正受給に思う

当苑のすぐ近く、犬山市にある老舗の医療機関、松浦病院で、06年7月から昨年8月で約17億5千万円にのぼる診療報酬の不正受給が発覚し、近く指定医の取り消しがおこなわれることを新聞で知った(朝日新聞2013年10月10日朝刊)。

今回の報道で私が憤りを感じたのは、不正請求そのものに対してもそうだが、それ以上に「書類の届け出は事務長に任せきり」で自分は知らなかったと語ったという理事長の発言に対してである。「知らなかった」というのはおそらく事実だろう。だが、それは統一球変更問題での加藤コミッショナーとおなじで、組織の長としてあまりに無責任な態度ではないか。

医療法人の理事長は原則、医師または歯科医師でなければならない。そのため、医学的な知識はあっても経営者として財務や組織管理の知識に乏しい人たちも少なからずいる。そんな医者に限って、設備の決裁権や人事権といった面倒なことを事務長に丸投げしてしまい、事務長に権限が集中してしまうという話をよく耳にする。

ところが、そのような事務長でさえ、金融機関などからの借入の内容など、法人全体の財務状況を把握していない場合が多い。つまり、事務長とは、医療や介護の現場レベルでの権限を与えられ、職場環境の維持と現場の売り上げの最大化を課せられている一般の会社でいう部長級に近い。それならまだいいほうで、日用品や消耗品などの備品購入以外には決裁権が与えられていないチェーンストアの雇われ店長みたいな事務長さえいる。

かれらと接していて感じるのは、組織に対し驚くほど忠誠心が高いことである。そのおこないが社会道徳的に許されるかどうかはとりあえず棚上げにして、トップの意向に従って動くのが雇われ身分でしかない自分たちの宿めであるといわんばかりだ。そのことは一般企業にも当てはまるとしても、ポイントはトップから具体的な指示があるのではなく、トップの意向を汲んで動くということである。なんだか、二・二六事件で青年将校らが拠りどころにした「大御心」みたいだ。

理事長の多くは医業に時間をとられ経営に深く携わる余裕はない。ところが、その穴を埋めるはずの事務長は現場サイドでの目先の収益確保にとらわれてしまう。ここから抜け落ちているのは、大局に立った法人としてのビジョンや方針である。

今回発覚した17億5千万円もの不正受給は法人を売却したぐらいでは足りないとさえいわれている。松浦病院の実情はよく知らないが、法人としての生き残りを考えるのなら、多少の血は流れても、もっと早い段階で不正請求を撤回する経営的な決断が必要だったと思う。それは現場で直接指揮を執っている事務長の仕事ではない。暴走する機関車を止めることができるのは経営陣だけである。

経営陣にはたして経営することへの意思と自覚はあったのか? 自分たちのことをオーナーぐらいにしか思っていなかったのじゃないか? なんでもかんでも事務長のせいにするのは、いいかげんにやめてもらいたいものである。

2013.10.15 | 介護社会論

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