
Poison & Medicine ブログ 毒と薬
2025.7.9
豊寿苑
歴史と文化
ゆうゆう学級『小牧と太平洋戦争』概要 ①
6月26日、木曜日。
小牧市教育委員会からの依頼でゆうゆう学級の講師として、小牧市味岡市民センターにおいて『小牧と太平洋戦争』をテーマにセミナーを開きました。

ゆうゆう学級は、市内在住または在勤の60歳以上の方が対象。
当日は約40名の参加がありました。
今年は市制70周年に当たることから、当初は小牧市が誕生した昭和30年(1955)までの歩みをアーカイブ画像を中心に紹介する予定でした。
ところが、航空自衛隊小牧基地や中部管区警察学校の協力が得られて、普段は公開されていない、敷地内に残る貴重な戦争遺産を取材できたことから、予定を変更。
『終戦80年 戦争遺跡と証言から学ぶ 小牧と太平洋戦争』と題して、昭和15年(1940)から20年(1945)8月の終戦まで、ほぼ太平洋戦争中の5年半に絞って取り上げることにしました。
第1章は、戦時下、軍部の都合で住民の土地や田畑を買い上げ、地域住民はもとより小学生まで総動員しての突貫工事で1年10ヵ月で完成させた「小牧陸軍飛行場」を取り上げました。
現在の県営名古屋空港と航空自衛隊小牧基地です。

昭和19年(1944)1月、1本の滑走路と共に20ヶ所に設けられたのが、敵の攻撃から戦闘機をカムフラージュするために作られた格納庫、掩体壕(えんたいごう)でした。

自衛隊の案内で現在も基地内に残る掩体壕の一つを取材し、写真を交えてその作りをくわしく紹介できました。
また、掩体壕を利用していた戦闘機「飛燕」に搭乗し、小牧飛行場を拠点にしていた飛行第55戦隊についても言及。

中京地区の防空に加えて、フィリピンに出撃して戦力の大半を失った悲劇の戦隊です。
