
Poison & Medicine ブログ 毒と薬
2025.8.9
歴史と文化
語り継ぐ『小牧と太平洋戦争』③
今日8月9日は長崎に原爆が投下された日です。
第3章では、名古屋陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)鳥居松製造所とともに春日井市の軍需産業を担った「名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所(たかぎせいぞうじょ)」に焦点を当てました。

春日井市は、よく「へそ」がない町といわれます。つまり、中心がない町。
その理由は、春日井市は、戦時下の昭和18年(1943)6月1日、武器・弾薬などを効率的に生産・供給するために、陸軍の軍需工場などがあった勝川町、篠木(しのぎ)村、鳥居松村、鷹来(たかぎ)村が合併して誕生した「軍都」だったからです。
JR 中央線春日井駅の南西、現在の王子製紙春日井工場がある敷地には、かつて陸軍直営の軍需工場、鳥居松製造所がありました。
この地で陸軍の主力小銃「九九式小銃」が大量生産され、中央線によって全国に輸送されていました。
鳥居松製造所から約6km 北方に軍用鉄道で結ばれた鷹来製造所がありました。
南北約1km、東西約0.6km。外周3.31km に及ぶ広大な敷地を有していました。
現在の春日井市総合体育館、名城大学農学部、鷹来中学校、パナソニックエコシステム、日本通運、春日井浄水場を含む一体がそれに当たります。
さらに、鷹来製造所から軍用線路で北へ約1km の場所にあったのが鷹来製造所西山分廠(ぶんしょう)です。ここでは火薬が作られていました。
現在の陸上自衛隊春日井駐屯地です。

鷹来製造所では、薬莢(やっきょう)、弾丸、雷管、風船爆弾などを作っていました。
終戦時には約4100人が働いていました。そのうち約1000人は学徒動員や女子挺身隊だったそうです。
旧制小牧中学校(現小牧高校)の生徒はじめ、小牧からも大勢の人たちが動員されました。
鷹来製造所の司令部棟があった場所は、戦後、名城大学農学部となり、令和4年(2022)に大規模改修されて、現在も本館として利用されています。

鷹来製造所と西山分廠とを結んでいた軍用鉄道の鉄橋がいまも残っています。

鉄橋の下は小牧と春日井とを結ぶ道路で、子どもの頃から何度も通り過ぎていたのに、今回の調査ではじめて戦争遺跡であることを知りました。
終戦前日の昭和20年8月14日。
8月9日に長崎に落とされた原爆ファットマンと同型で、4.5トンの模擬原爆パンプキン爆弾が鳥居松と鷹来の両製造所に投下され甚大な被害が出ました。


折しもゆうゆう学教があった6月26日は、米国がイランの核施設におこなった爆撃を、トランプ大統領が広島と長崎への原爆投下になぞらえる発言をした直後だっただけに心中複雑でした。
見てきたように、小牧とその周辺には太平洋戦争にまつわる遺跡がいくつか残っています。
しかし、歴史資料としては比較的新しいため、保存すべき文化財として指定されていません。
戦後80年を迎え、戦争の体験を語れる人が少なくなっている現在、これらを保存する重要性はますます高まっています。
8月6日。NHK 朝のニュースで、「戦後80年どう残す?身近な戦争遺跡」として、わたしとおなじ問題提起をしていました。
今こそ、自治体が中心となって調査をおこない、戦争遺産を地域の文化遺産として保存すべき時です。