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Poison & Medicine ブログ 毒と薬

2025.8.15

歴史と文化

語り継ぐ「小牧と太平洋戦争」⑦

空襲で妹二人を失ったわたしの母

わたしの祖父・塚原嘉一(かいち)は、戦前から小牧駅前で塚原毛織工場を経営していました。現在、豊寿苑が建っている場所です。

戦時中は小牧町長として、国の「金属回収令」に従い、商売道具の紡績機を率先して供出しました。

もぬけの空になった工場は、鷹来製造所の第七工場として銃弾の部品を作っていました。

昭和20年(1945)8月3日昼、工場を米軍機が襲い、機銃掃射によって、勤労奉仕の男子生徒1人と、7歳と4歳の姉妹が犠牲になりました。

姉妹は、嘉一の養女になっていたわたしの母の実妹です。

草の根の国粋主義

今回、『小牧と太平洋戦争』について、さまざまな資料を当たり、現地取材をおこなったなかで感じたのは次のことです。

太平洋戦争中、陸軍小牧飛行場を短期間で建設するために勤労動員された警防団、国防婦人会、小中学生たちにせよ、将校を志し全国から集まった名古屋陸軍幼年学校のエリート青少年たちにせよ、陸軍造兵廠鷹来製造所(りくぐんぞうへいしょうたかぎせいぞうじょ)で武器・弾薬を製造していた勤労動員の男子学生や女子挺身隊の女性たちにせよ、小牧中学在学中に海軍に志願し九死に一生を得た沖本さんにせよ、毛織工場の紡績機を国に供出した祖父・嘉一にせよ、日本の正義と勝利を信じて疑わなかっただろうということです。

それは、明治になってつくられた「万世一系」の天皇を中心とする国体の維持・繁栄を願う思想や実践が、「教育勅語」を柱に初等・中等の学校教育や軍隊教育を通じて徹底的に体にしみこまされた結果といえます。

もともとは国民の国家への忠誠心を確保するための上意下達(じょういかたつ)だったのが、昭和になると「臣民」が下から草の根的に国家に奉仕する構造になっていたということです。

「教育勅語」の危険な罠

昨今、保守系政治家のあいだで「教育勅語」の復活が唱えられています。
「教育勅語」に説かれている、親子、兄弟、夫婦、朋友に対する教えは、現代でも道徳教育として通用するというのがその理由のようです。

この部分は、よくある儒教的な徳目であって「教育勅語」を引き合いに出すまでもありません。
問題はその前とあとの部分の国家神道的な中味にあります。


天皇は天照大神の子孫である神聖な存在であり、「臣民」は国のはじめ以来、現在も変わることなく天皇と一体的な関係が続いてきたことが説かれています。

この考え方はそんなに古いものではなく、幕末の尊王論に影響を与えた江戸後期の水戸学がもとになっています。

そして、「一旦緩急アレバ」、つまり戦争のような危機的事態が起こったときには、「義勇公に奉ジ」、義勇をもって「公」に尽くすべきこと。そして「天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ」。天照大神の「神勅」に従って仕え支えよ、と説いています。


愛国心をもって国のために尽くすのはどこの国もおなじだとの反論もあるでしょう。
しかし「教育勅語」は、それにとどまらず、愛国心 (patriotism) を超えて、神聖な天皇の統治のため、つまり「国体」を護持するために尽くすべきと説いています。問題の核心はここです。

もっとも「国民主権」を放棄したいというのであれば話は別ですが‥‥。

(終)

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