
Poison & Medicine ブログ 毒と薬
2025.8.15
歴史と文化
語り継ぐ「小牧と太平洋戦争」⑥
米軍に救助され捕虜として終戦を迎える
突然、右腕にチクリとした痛みを感じてぼんやり目を覚ましました。
沖本さんは3日間漂流のすえ、米軍の魚雷艇に救助されて、ベッドで点滴治療を受けていました。
同年11月10日頃、戦艦ミズーリに身柄を移されました。救助されたのはたった6人。全員が銃殺刑を覚悟しました。

ちなみに、同艦上で日本のポツダム宣言受諾の文書が調印されたのは、それから約10ヶ月後の昭和20年(1945)9月2日です。
その後、ハワイの捕虜収容所に移送され約3ヶ月を過ごしたのち、米本土の収容所を点々としました。
日本の敗戦を知ったのは、アメリカ東部ペンシルバニア州ピッツバーグの収容所にいるときでした。
それからは待遇がよくなり、ホノルル・ヒッカム空軍基地では、捕虜の身ながら、週5日、特別手当付きで搭乗員食堂や病院食堂のコック手伝いをするようになりました。
そして、昭和23年(1948)帰国。
米軍に接収された小牧基地の食堂でコックとして10年近く働いたのち、小牧で洋食店を開業しました。

たいへん長くなりましたが、味岡市民センターでおこなった「ゆうゆう学級」講演『小牧と太平洋戦争』の概要は以上です。