双寿会からのお知らせ

「石の城」としてよみがえった小牧山城

小牧山城の石垣整備工事のため、ところどころ立入禁止だった山頂部の歴史資料館の外周がこのたび開放。ひさびさに小牧山に朝ランに出かけた。

2024年4月13日 小牧神明社付近から見た小牧山

2024年4月13日 小牧神明社付近から見た小牧山

自宅から山麓に広がる帯郭(おびくるわ)を抜けて、坂を上った桜馬場まで約2km。
ここから山頂まで約1kmを5往復、約10kmの坂道走。

スクリーンショット 2024-04-16 19.25.52

ちょうど朝のラジオ体操に山頂をめざす人たちとかち合った。あいさつしながら駆け上がる。

頂上に来て、織田信長の築城時の石垣を再現したという、主郭(本丸)部分の生まれ変わった姿に心がふるえた。

20240413小牧山城

2024年4月13日 石垣整備工事後 画面左下の黒い岩が「転落石」

2022年4月30日

2022年4月30日 石垣整備工事前 画面下、ツツジに隠れた「転落石」

小牧山城の主郭部分が3段の石垣に囲まれた壮大な「石の城」だったとわかったのは、2013年(平成25)のこと。
わたしは発掘調査現場が特別公開されるときは欠かさず見に行っている(もちろん走って)。このとき、わたしの意識は460年前にタイムトリップしている。

2020年2月22日

2020年2月22日 主郭南面の発掘現場 「転落石」が見える

2024年4月13日 整備された主郭南面

2024年4月13日 再現された主郭南面の登城路

小牧山城復元イメージ図

画面中央あたりが登城路。階段は確認できていないそうだ 小牧山城主郭推定図

令和3年(2021)、織田信長時代の野面(のづら)積みの石垣をできるだけ忠実に復元する工事が始まった。
この復元プロジェクトがスタートしたとき、山下市長の発案で石垣の裏側に詰める裏込石に名まえやメッセージを書いて納める企画が始まった。

昨年度も大好評だったこの試み、じつはその第1回募集で、栄誉ある第1号になったのはわたしだ。

小牧山城復元プロジェクト参加記念証

小牧山城復元プロジェクト参加記念証

令和4年(2022)2月11日、午前6時47分にスタートして、大山川沿いを走って「市民四季の森」で折り返し小牧山に入った。
麓にある受付会場「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」にはすでに多くの人たちが並んでいたが、わたしはそこをスルーして頂上の受付会場まで一気に駆け上った。ジャスト20km。

IMG_0780

ときあたかも、ロシアによるウクライナ侵攻が懸念されていた時期だったので、裏込石に豊寿苑と家族のしあわせとともに平和への願いを込めて「平安」と書いた。
残念ながら、約2週間後の2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。

IMG_2718

小牧山はチャート(堆積岩)という硬くて風化しにくい赤っぽい岩石からできている。一部に混じる花崗岩は岩崎山から運ばれたといわれる。
信長は岩盤をそのまま生かしながら、足りない部分をおもに中腹の観音洞から切り出してきた岩石で補った。土で固めた土塁と堀が一般的だった当時にあっては画期的な「石の城」だった。

2024年4月13日 「石の城」として復元された主郭

2024年4月13日 「石の城」として復元された主郭

山頂までの道は、最近の改修工事によってほとんど舗装されてしまったが、かつては大雨のたびにデコボコになるオフロードだった。
けっしてラクではない勾配を駆け上がりながら、おそらく騎馬で上り下りしていたであろう若き日の信長に思いを馳せたものである。

2017年1月21日 改修工事中の主郭

2017年1月21日 改修工事中の主郭部分

訪れる人数でいうと、小牧山は名古屋城より多いそうだ。
これは観光目的ではなく、散歩のため、健康のため、毎日のように小牧山に足を運んでいる市民たちの数の多さを物語っている。

2024年4月13日 主郭部分北面

2024年4月13日 主郭部分北面

こんなにも市民から愛されている小牧山ってすばらしいと思う。

2024.04.16 | 歴史と文化