当宛の自慢の一つはイベントがひんぱんなこと。母体が昭和の初めからこの場所にあったことから、施設独自の催しのほかに、現在も地域のお祭りや学校の行事などと深いつながりをもっています。
10月13日(日)、小牧神明社で秋の馬祭がありました。
これは「オマント」と呼ばれる、尾張初代藩主徳川義直候から下賜されたという五本棒にあやかった塔鞍を馬の背に載せ、大勢の子どもたちが長い綱を引いて町内を練り歩き、小牧神明社に奉納するという祭礼。市指定有形民俗文化財になっています。
今年も奉納へ向かう行列が、豊寿苑の駐車場に立ち寄ってくださいました。威勢のよい懸け声、笛、拍子木の音、半被(はっぴ)に鉢巻き姿と、お祭りならではの雰囲気にふれられて、お年寄りのみなさんは胸が騒ぐのを隠せないようでした。
大きな馬を間近に見られたのもさることながら、帰り際に子どもたちとおこなった握手にいたく感激していました。なかには涙を流す方もおられました。
「動物と子どもにはかなわない」とは、まさにこのことですね。
【追記】
能書き好きな筆者としては、これにひと言付け加えないではいられませんでした。以下は興味がある方のみ読んでいただければ結構です。
秋祭りは、春に山から里に下りてきて、田んぼの中に宿り秋の実りをもたらしてくれた神様に感謝し、山へお見送りする農耕儀礼といわれています。
日本では神様は姿かたちをもたず、目に見えない力、今風にいうと「パワー」だと考えられていました。だから、神様が鏡や巨石に宿ることはあっても、鏡や巨石そのものが神様ということにはなりません。オマントも神の依り代(よりしろ)ということができると思います。なぜ、五本棒なのかはわかりませんが、「オマント」の語源と思われる「御馬の塔」から、それはルーマニアの宗教学者ミルチャ・エリアーデのいう「宇宙木」でしょう。
ところで、伝徳川義直候の猿候を描いた旗については、馬と猿との深い結びつきを想像しないではいられません。
猿は馬を病気や事故から守るとされていました。その根拠には古代中国の陰陽五行説があるようです。五行説によると、馬は火、猿は水を象徴しているそうです。馬が活躍すれば、世の中は盛んになりますが、そのことが行き過ぎると日照りになったり、火事が多くなったりします。そこで水である猿で中和させるという発想のようです。
猿まわしとか、中国の孫悟空やインドのハヌマーンとか、猿のシンボリズムについては、まだまだ語りたいことが多くあるのですが、ここはそういう場所ではないのでこのへんにとどめておきます。
秋の馬祭には、このほかにも興味深いならわしがあります。
それは年男が女装して神事に参加し、大酒を飲んで乱痴気騒ぎをするというものです。これは祭り=非日常において日常の秩序をひっくり返すことで生活世界を再活性化させる「象徴的逆転」と呼ばれる人類学ではおなじみのテーマです。いわゆる儀礼における「服装倒錯」「性的逆転」は、ヨーロッパ、アフリカ、アジアなど世界中で報告されています。「服装倒錯」や「乱痴気騒ぎ」は、年男の、壮年から中年への過渡的で不安定な状態を具現化したものといえるでしょう。こうして日常の秩序を象徴的に逆転することで、社会のこわばりをやわらげ、新しい空気を吹き込んで結果的に秩序に安定をもたらすというわけです。
これこそ、祭りの意義でしょう。