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奈良マラソン奮戦記

 

も押し迫った平成26年12月14日(日)。あの理由なき解散総選挙の投票日。
私は奈良にいました。第5回を迎えた「奈良マラソン2014」。
エントリーは合計1万6000人。うち、フルマラソンは1万3000人でした。
この日の朝、奈良はたいへん冷え込んで、スタートの鴻ノ池陸上競技場の、建物の外周で寒さに震えながら待機している時間の長く感じられたこと。
午前9時。スタートの号砲が鳴っても、しばらくは混雑でよちよち歩きでした。スタートラインにたどり着くまでどれだけ時間がかかったことか。
イモ洗いのような混雑からようやく抜け出せたのは2kmを過ぎたあたりから。そこから10km地点ぐらいまでは平城宮跡、東大寺、興福寺、春日大社のある奈良公園などの名所旧跡を駆け抜けました。街中のわりには意外と傾斜がありました。
奈良公園から天理街道を南下。あたりは田園地帯が広がっていました。この頃ようやく、身体が温まってきて調子が出てきたのですが、飛ばしすぎないようセーブしながら1kmを5分前後のペースで走りました。
16kmあたりから最初の難関、山越えです。上り坂が3kmぐらい続いて、ダムのわきを通って下っていくコース。
私は、殺風景な街中よりも自然や田園風景の中を走るのが好きです。そのせいなのか、アップダウンは比較的得意にしています。坂道で自分より若い男たちを次々に追い越していくときの快感といったら…。
山を下って田園地帯をしばらく走ると天理の市街地が見えてきました。すると、街の中心部に断崖絶壁のようにそそり立つ和洋折衷の巨大な建築物が現れました。天理教教会本部です。その異様な迫力に圧倒され、私はチベットのポタラ宮殿を思ってしまいました。
その建造物の周囲を巡ってレースは折り返すわけですが、建物があまりに巨大すぎるため自分がどこを走っているのかわからなくなってしまいました。まさに迷宮でした。
29kmあたりから、今度は天理側から例の山を越えていきます。こちらからのほうが上り傾斜が急で疲れていたこともあって、相当きつかったことを覚えています。前方を見ると、どこまでも上り坂が続いていたので、私は下を見て身体を前傾させながら自分の走りをすることに集中しました。
こうして、なんとか山越えを終えて、ひと安心していたのもつかの間。35kmあたりからまたもや上り坂です。
いわゆる「30kmの壁」を乗り越えられたと思っていました。ところが、それまで1km5分前後で走れていたのが、ここに来て急にペースダウン。5分30秒ぐらいのペースに落ちてしまいました。ここからの4kmはくじけそうになる自分との戦いでした。
そして、ようやく奈良公園に戻ってきたときは救われた思いでした。県庁前の直線道路を駆け抜けるときは足取りはずいぶん軽くなっていました。
ところが、ゴールまで残り1kmというところで、またもや上り坂。ゴールの陸上競技場までの道のりがどんなに長く感じられたことか。こうしてどうにか競技場にたどり着くと、トラックでは最後の力をふりしぼって全速力でゴールしました。
タイムは3時間44分39秒。スタートの合図ではなく、スタートラインをまたいだときからの計測(ネットタイム)だと3時間42分17秒でした。マラソン男子1万423人中1506位。マラソン男子50歳代では2265人中249位でした。
ところが、自分のランナーズ・ウォッチで確認したら3時間41分でした。じつはレース中、トイレに2回も行ったせいで3分30秒近くロスしていたのです。
目標の3時間45分以内はクリアできたので満足すべきなのでしょうが、ネットタイムだったら3時間30分台で走れていたと思うと悔やまれてなりません。今シーズンのフルマラソンは、あと、2月15日の「京都マラソン」を皮切りに、「静岡マラソン」「横浜マラソン」「掛川マラソン」の4レースにエントリーします。そのどれかでは3時間30分台を出したいと思っています。
余談
歴史と仏教と美術には目がない私は、レースの前日、早い時間に奈良に入って、ひさしぶりに東大寺や興福寺を訪ねました。奈良の大仏も阿修羅像もすばらしいのですが、感激したのは初めて東大寺法華堂(三月堂)を拝観できたことでした。本尊不空羂索観音菩薩はじめ、奈良時代に作られたという諸尊像のエロチックで美しかったこと。若草山に登ったせいで、東大寺ミュージアムと春日大社へは行けませんでした。次回の楽しみにとっておきます
スタートの鴻ノ池陸上競技場。レース前日の様子

スタートの鴻ノ池陸上競技場。レース前日の様子

年も押し迫った平成26年12月14日(日)。あの理由なき解散総選挙の投票日。
私は奈良にいました。第5回を迎えた「奈良マラソン2014」
エントリーは合計1万6000人。うち、フルマラソンは1万3000人でした。

この日の朝、奈良はたいへん冷え込んで、スタートの鴻ノ池陸上競技場の、建物の外周で寒さに震えながら待機している時間の長く感じられたこと。

午前9時。スタートの号砲が鳴っても、しばらくは混雑でよちよち歩きでした。スタートラインにたどり着くまでどれだけ時間がかかったことか。

イモ洗いのような混雑からようやく抜け出せたのは2kmを過ぎたあたりから。そこから10km地点ぐらいまでは平城宮跡東大寺興福寺春日大社のある奈良公園などの名所旧跡を駆け抜けました。街中のわりには意外と傾斜がありました。

奈良公園から天理街道を南下。あたりは田園地帯が広がっていました。この頃ようやく、身体が温まってきて調子が出てきたのですが、飛ばしすぎないようセーブしながら1kmを5分前後のペースで走りました。

奈良公園ではシカたちがお出迎え。写真は前日に東大寺参道にて撮影

奈良公園ではシカたちがお出迎え。写真は前日に東大寺参道にて撮影

16kmあたりから最初の難関、山越えです。上り坂が3kmぐらい続いて、白川ダムのわきを通って下っていくコース。

私は、殺風景な街中よりも自然や田園風景の中を走るのが好きです。そのせいなのか、アップダウンは比較的得意にしています。坂道で自分より若い男たちを次々に追い越していくときの快感といったら…。

山を下って田園地帯をしばらく走ると天理の市街地が見えてきました。すると、街の中心部に断崖絶壁のようにそそり立つ和洋折衷の巨大な建築物が現れました。天理教教会本部です。その異様な迫力に圧倒され、私はチベットのポタラ宮殿を思ってしまいました。

その建造物の周囲を巡ってレースは折り返すわけですが、建物があまりに巨大すぎるため自分がどこを走っているのかわからなくなってしまいました。まさに迷宮でした。

背景の巨大な建物は天理高校や天理大学の正門。スゴイ!

背景の巨大な建物は天理高校や天理大学の正門。スゴイ!

 

背景は天理教教会本部の建物。「ポタラ宮殿」の方ではありません

背景は天理教教会本部の建物。「ポタラ宮殿」の方ではありません

29kmあたりから、今度は天理側から例の山を越えていきます。こちらからのほうが上り傾斜が急で疲れていたこともあって、相当きつかったことを覚えています。前方を見ると、どこまでも上り坂が続いていたので、私は下を見て身体を前傾させながら自分の走りをすることに集中しました。

こうして、なんとか山越えを終えて、ひと安心していたのもつかの間。35kmあたりからまたもや上り坂です。

山の上にある白川ダム沿いの道。ここだけやや平地で少しホッとできます

山の上にある白川ダム沿いの道。ここだけやや平地で少しホッとできます

いわゆる「30kmの壁」を乗り越えられたと思っていました。ところが、それまで1km5分前後で走れていたのが、ここに来て急にペースダウン。5分30秒ぐらいのペースに落ちてしまいました。ここからの4kmはくじけそうになる自分との戦いでした。

そして、ようやく奈良公園に戻ってきたときは救われた思いでした。県庁前の直線道路を駆け抜けるときは足取りはずいぶん軽くなっていました。

要約なら公園へ。東大寺が私の帰りを待っていてくれました。実際は見えません。

ようやく奈良公園へ。東大寺が私の帰りを待っていてくれました。実際は見えません。

ところが、ゴールまで残り1kmというところで、またもや上り坂。ゴールの陸上競技場までの道のりがどんなに長く感じられたことか。こうしてどうにか競技場にたどり着くと、トラックでは最後の力をふりしぼって全速力でゴールしました。

タイムは3時間44分39秒。スタートの合図ではなく、スタートラインをまたいだときからの計測(ネットタイム)だと3時間42分17秒でした。マラソン男子1万423人中1506位。マラソン男子50歳代では2265人中249位でした。

ところが、自分のランナーズ・ウォッチで確認したら3時間41分でした。じつはレース中、トイレに2回も行ったせいで3分30秒近くロスしていたのです。

目標の3時間45分以内はクリアできたので満足すべきなのでしょうが、ネットタイムだったら3時間30分台で走れていたと思うと悔やまれてなりません。今シーズンのフルマラソンは、あと、2月15日の「京都マラソン」を皮切りに、「静岡マラソン」「横浜マラソン」「掛川・新茶マラソン」の4レースにエントリーします。そのどれかでは3時間30分台を出したいと思っています。

余 談

若草山から見た奈良の景色

若草山から見た冬の夕暮れの奈良。はるか向こうにはたぶん二上山、信貴山

歴史と仏教と美術には目がない私は、レースの前日、早い時間に奈良に入って、ひさしぶりに東大寺興福寺を訪ねました。

奈良の大仏も金剛力士像も阿修羅像もすばらしかったのですが、感激したのは初めて東大寺法華堂(三月堂)を拝観できたことでした。本尊不空羂索観音菩薩(ふくうけんかんのんぼさつ)はじめ、奈良時代に作られたという諸尊像のエロチックで美しかったこと。ひともまばらな寒いお堂の縁に腰を下ろして、しばしのあいだ、10体の仏像を眺めながらトランスしていました。

法華堂の隣に、手向山(たむけやま)八幡宮がありました。「このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」菅原道真公が詠んだのはここだったのかと感心していたところ、明日のマラソンのためにご祈願していただけるとのことでしたので祝詞をお願いしました。当日は護符をウェストポーチに忍ばせて走りました。

そのあと、若草山に登りました。かれこれ午後4時近くなり、人影はまばら。頂上付近は寒風吹きすさびじっとしていられないほどでしたが、頂上から見た奈良の景色はとてもきれいでした。時間の都合で東大寺ミュージアム春日大社に行けなかったことが悔やまれますが、これは来年の楽しみにとっておきましょう。

 

 

2015.01.16 | マラソン