双寿会からのお知らせ

豊寿苑所蔵作品『月を盗る』について

伴清一郎『月を盗る』油彩・テンペラ

伴清一郎『月を盗る』油彩・テンペラ

洋画家・伴清一郎の代表作

豊寿苑の正面玄関から入ったロビーに大きな衝立(ついたて)があります。これは洋画家・伴清一郎さんの作品でタイトルは『月を盗る』といいます。平成7年(1995)の日本橋三越本店での個展で発表され、画壇の芥川賞といわれるその年の安井賞展に出品されたかれの代表作です。

作品は二枚一組で各180×75センチ。額縁を含めると全体で210×210センチに及びます。たぶん伴さんの作品の中では最大級ではないでしょうか。
琳派ですか、と聞かれたこともありましたが、テンペラ絵の具と油絵の具を併用したヨーロッパ古典技法で描かれています。これは板にテンペラで下地を描き、その上に極細の筆で油絵の具を薄く何層も何層も重ねて仕上げていくという緻密な技法です。ダ・ヴィンチの有名な『モナリザ』にもこの技法が使われています。

画面の左下には、「芥子坊主」という筆の穂先のような子どもの髪型をして、金剛力士像のような隆々たる筋骨の童子が立っています。かれは足首まで水に浸かり、あたりには蓮の葉と蒲の穂が生い茂っています。
金粉を散りばめた星々が輝く暗褐色の闇からは金箔を使った満月が周囲を幻想的に照らしています。童子が両手で抱える大きな深鉢は水で満たされ、水面には月影が映っています。おそらく沼沢に映る月をこの大きな鉢で掬いとったのでしょう。童子は盗った月をだれにも渡すまいとするかのように身構え、画面の先にきびしい視線を送り威嚇しています。

京都・泉涌寺に展示

伴清一郎さんは昭和25年(1950)滋賀県生まれ。〈童子〉のみを描く異色の画家です。現在は鎌倉在住ですが学生時代から長く京都に住んでいました。
京都は多くの神々や仏が坐す古都であると同時に、夜な夜な鬼や妖怪がたむろする魔の都でもありました。〈童子〉は、神や仏の眷属でありながら鬼や妖怪に近い存在であり、自然物や場所に宿る精霊です。人に危害を及ぼさないものの御利益を施すこともない、いたずら好きの下級の神=鬼ですが、伴さんはそんな〈童子〉の性格や容姿やふるまいの中に「日本のかたち」を発見したといいます。あるいは、伴さんの内なる日本が〈童子〉に結晶化されているというべきでしょうか。

泉涌寺仏殿(重要文化財)

泉涌寺仏殿(重要文化財)


展示会場となった泉涌寺本坊の門

展示会場となった泉涌寺本坊


平成7年の豊寿苑開設以来、施設のシンボルとしてずっと正面玄関に鎮座してきたこの大作が、平成23年10月15日(土)〜10月24日(月)、京都の二条城、泉涌寺、清水寺を展示会場とする美術展『観○光(かんひかり)』出品のため、一時京都へ里帰りしました。
展示場所は天皇家の菩提寺として「御寺(みてら)」の名で親しまれている泉涌寺(せんにゅうじ)。大門を入って長い下り参道の一番奥にあるのが本坊。その玄関正面の空間にこの作品が展示されていました。それは伝統的な和建築の空間にすっかり融け込んで、あたかも昔からそこにあったかのように映りました。16年間、毎日目にしてきたにもかかわらず、とても新鮮に感じ、(行儀が悪いのですが)床に這いつくばるようになってディテールをじっくりと鑑賞させてもらいました。

自然に還る

この作品、じつは伴さんが親しくしていた友人の死への鎮魂(レクイエム)でもあります。月と水は死と再生シンボルです。描かれている鳥、ひょうたん、ほおずき、香炉、気泡なども同様です。
日本人は古くからこの世とあの世が断絶しているのではなく、つながっていると考えていました。この世での死はあの世への誕生であり、あの世での死はこの世への生まれ変わりであるという円環状の死生観をもっていました。この作品はそうした死生観を表現しています。
それと同時に、友人の魂は鳥や魚や虫や草木や地水火風空に宿って生きつづけるだろうというアニミズム的な発想も入っているように感じます。個体としての人間の死は、肉体からの解放であり自然、こういってよければ宇宙(ブラフマン)=仏との融合なのだという思いがそこにあったのかもしれません。

豊寿苑では毎年何名かの方々が一生を終えられます。それは悲しい現実ですが、自我の苦しみから解き放たれて神仏のもとに旅立たれ自然に還られたのだと思えば、いくぶんかは救われる気持ちになれるかもしれません。この作品はそんなことを教えてくれると思います。

2011.10.25 | 音楽とアート