毒と薬

京都マラソン(1)〜前日、平等院で臨終を思う


あでやかによみがえった鳳凰堂。

阿字池に映った姿が美しい。(クリックで拡大)

前泊が必要なマラソン・レースにエントリーするときは、前日の早い時間に現地に入って史跡や名勝などを巡ることにしています。
昨年12月に走った奈良、そして今回の京都は歴史的な文化遺産の宝庫なので、時間はいくらあっても足りません。だから、あらかじめ巡る場所を絞っておく必要があります。今回は、平成26年9月30日に大規模な修理を終えたばかりの宇治平等院鳳凰堂を訪ねることにしました。
関白藤原頼通が極楽往生を願い、極楽浄土の宮殿をイメージして建てた鳳凰堂はあざやかな朱色となってよみがえり、正面の阿字池にもその優美な姿を映していました。見事なまでにシンメトリカル(左右対称)な構え、計算され尽くした配置、時が止まったような端正な佇まい、完璧な美しさとはこれをいうのだと思いました。
ただ、自然との調和の点で人為が強く出過ぎているため、飽きが来るのも早い気がしました。やはり美には乱調、破調がないと。
鳳凰堂の内部も拝観しました。
堂宇の内部には定朝(じょうちょう)作の阿弥陀如来像が端然と座していました。均整のとれた温和でふくよかな姿は、これまた完璧で隙がありません。
阿弥陀像の頭上には螺鈿が施された華麗な四角い天蓋が覆い、まわりの壁には宙を舞うように配された52体の雲中供養菩薩像、扉や壁一面にはかつては極彩色だったという阿弥陀来迎図が描かれ、「我が国仏教美術の最高峰」といった肩苦しい言い方よりも「おとぎの国」と呼ぶのがふさわしいように感じました。
臨終に際し、紫雲に乗った阿弥陀如来が菩薩や天人たちを大勢連れて極楽に連れて行ってくれるなんて、これ以上、理想的な最期はないだろうとつくづく思いました。「豊寿苑にも阿弥陀堂があったらなあ」と思った次第です。
このあと、平等院の宝物館、宇治川沿いにある国宝、氏神神社、曹洞宗の道元禅師が初めて開いた寺院、興聖寺などを見て宇治をあとにしました。

前泊が必要なマラソン・レースにエントリーするときは、前日の早い時間に現地に入って史跡や名勝などを巡ることにしています。

昨年12月に走った奈良、そして今回の京都は歴史的な文化遺産の宝庫なので、時間はいくらあっても足りません。だから、あらかじめ巡る場所を絞っておく必要があります。今回は、平成26年9月30日に大規模な修理を終えたばかりの宇治平等院鳳凰堂を訪ねることにしました。

ph_byodoin02

見事なまでの均整美にしばし呆然とする。(クリックで拡大)

関白藤原頼通極楽往生を願い、極楽浄土の宮殿をイメージして建てた鳳凰堂(正式には阿弥陀堂)は、あざやかな朱色に塗り替えられ屋根上の鳳凰も金ぴかになって、正面の阿字池にもその優美な姿を映していました。見事なまでにシンメトリカル(左右対称)な構え、計算され尽くした配置、時が止まったような端正な佇まい、完璧な美しさとはこれをいうのだと思いました

阿字池越しに右の翼廊側から見た鳳凰堂も美しい。

阿字池越しに右の翼廊側から見た鳳凰堂も美しい。(クリックで拡大)

ただ、自然との調和の点で人為が強く出過ぎているため、飽きが来るのも早い気がしました。やはり美には乱調、破調がないと

鳳凰堂翼廊をななめ後方から見る。中堂と。実は翼廊とはつながっていません。

鳳凰堂翼廊をななめ後方から見る。

鳳凰堂中堂の内部も拝観しました。

堂宇の内部には定朝(じょうちょう)作の阿弥陀如来像が端然と座していました。均整のとれた温和でふくよかな姿は、これまた完璧で隙がありません。

内部は撮影禁止だが、阿字池の正面から阿弥陀仏の顔が見える。

内部は撮影禁止だが、阿字池の正面から阿弥陀仏の顔が見える。(クリックで拡大)

阿弥陀像の頭上には螺鈿が施された華麗な四角い天蓋が覆い、まわりの壁には宙を舞うように配された52体の雲中供養菩薩像、扉や壁一面にはかつては極彩色だったという阿弥陀来迎図が描かれ、「我が国仏教美術の最高峰」といった肩苦しい言い方よりも「おとぎの国」と呼ぶのがふさわしいように感じました。

中道から翼廊を臨む。

中堂から翼廊を臨む。中堂と翼廊とは実はつながっていない。つまり両翼廊は装飾なのだ。

臨終に際し、紫雲に乗った阿弥陀如来が菩薩やさまざまな楽器を奏でる天人たちを大勢伴って極楽に連れて行ってくれるなんて、これ以上、理想的な最期はないだろうとつくづく思いました。「豊寿苑にも阿弥陀堂があったらなあ」と思った次第です。

中堂正面から石灯籠越しに阿字池を臨む。

中堂正面から石灯籠越しに阿字池を臨む。

このあと、平等院の宝物館、宇治川沿いにある世界文化遺産宇治上神社道元禅師が初めて開いた曹洞宗の禅寺興聖寺などを見て宇治をあとにしました。

宇治川の合戦で平家軍に敗れ平等院で自刃した源頼政の墓。佇まいがいい。

宇治川の合戦で平家軍に敗れ平等院で自刃した源頼政の墓。佇まいがいい。源範頼と共に、この武将にはむかしからシンパシーを感じていました。

(続く)

2015.03.26 | マラソン歴史と文化

マラソン大会のメダルから地元の文化特性を読みとる

年10月頃から3月頃までの半年がマラソン大会のシーズンです。
参加賞にはTシャツ、完走するとスポーツタオルがもらえる場合が多いのですが、ゴール直後にメダルを首に掛けてくれる大会も増えてきました。
今シーズン、私は4つのメダルを手にしました。別にメダル・コレクターというわけではありませんが、これらを較べてみると開催地の文化や風土が感じられて、なかなかおもしろいものです。写真を左から順にコメントしてみます。
奈良マラソン2015 平成26年12月13日
第5回目の「五」にちなんで、正倉院の宝物「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしだんごげんびわ)」がモチーフになっています。首掛けリボンの茶と黒は五絃琵琶のカラー、花模様は五絃琵琶のものです。裏側にも本物どおり螺鈿の文様があしらわれ凝っています。ちなみに通常の琵琶は四弦です。ランニングシューズとシカの横顔をオーバーラップさせたロゴもキュートです。
京都マラソン2015 平成27年2月15日
水引飾りの「平梅結び」をモチーフにした京都らしい雅(みやび)なデザインです。2月15日開催ということで、北野天満宮に代表される梅の花をイメージしたのでしょう。裏は鳥居の下に梅の花があしらわれています。「京」の文字をランナーの姿にしたロゴもシャレています。
静岡マラソン2015 平成27年3月1日
かたちは変哲のない円形、なによりも色がシルバーというのがよくありません。ありがたみが落ちます。首掛けリボンが黄緑色なのは新茶をあしらったのでしょうか? ロゴは富士山と駿河湾をモチーフにランニングシューズをあしらったそうですが、名峰富士が半分だけというのはよろしくないですね。残り半分は山梨のものってこと? ご当地、清水の次郎長にちなんで「縞の合羽に三度笠」の渡世人の粋でいなせないでたちをランナー化させたデザインがほしかったところですね。
横浜マラソン2015 平成27年3月15日
港町・横浜らしく舵(かじ)を象ったゴールド・メダル、ロゴは波模様、首掛けリボンはネイビーブルーとホワイトのストライプと、さすがにセンスがいい。なによりもメダルにズシリと重量感があるところが気に入っています。
日経のデジタルサイトだったか忘れましたが、今年の横浜マラソンの経済効果は約70億円だったそうです。マラソンの参加者は一般の観光客よりも地元にたくさんお金を落としてくれるのだとか。マラソンはいまや地元をPRし地域を活性化させる格好の手段になっていると思います。
小牧市も観光に力を入れるというなら、現在10kmの「小牧シティマラソン」を改変して、「小牧山合戦ハーフマラソン」にしてはどうでしょうか?
左から、奈良マラソン、京都マラソン、静岡マラソン、横浜マラソン

左から、奈良マラソン、京都マラソン、静岡マラソン、横浜マラソン(クリックして拡大)

毎年10月頃から3月頃までの半年がマラソン大会のシーズンです。

参加賞にはTシャツ、完走するとスポーツタオルがもらえる場合が多いのですが、ゴール直後にメダルを首に掛けてくれる大会も増えてきました。

今シーズン、私は4つのメダルを手にしました。別にメダル・コレクターというわけではありませんが、これらを較べてみると開催地の文化や風土が感じられて、なかなかおもしろいものです。写真を左から順にコメントしてみます。

奈良マラソン2014 平成26年12月14日
第5回目の「五」にちなんで、正倉院の宝物「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしだんごげんびわ)」がモチーフになっています。首掛けリボンの茶と黒は五絃琵琶のカラー、花模様は五絃琵琶のものです。裏側にも本物どおり螺鈿の文様があしらわれ凝っています。ちなみに通常の琵琶は四弦です。ランニングシューズとシカの横顔をオーバーラップさせたロゴもキュートです。

京都マラソン2015 平成27年2月15日
水引飾りの「平梅結び」をモチーフにした京都らしい雅(みやび)なデザインです。2月15日開催ということで、北野天満宮に代表される梅の花をイメージしたのでしょう。裏は鳥居の下に梅の花があしらわれています。「京」の文字をランナーの姿にしたロゴもシャレています。

静岡マラソン2015 平成27年3月1日
かたちは変哲のない円形、なによりも色がシルバーというのがよくありません。ありがたみが落ちます。首掛けリボンが黄緑色なのは新茶をあしらったのでしょうか? ロゴは富士山と駿河湾をモチーフにランニングシューズをあしらったそうですが、名峰富士が半分だけというのはよろしくないですね。残り半分は山梨のものってこと? ご当地、清水の次郎長にちなんで「縞の合羽に三度笠」の渡世人の粋でいなせないでたちをランナー化させたデザインがほしかったところですね。

横浜マラソン2015 平成27年3月15日
港町・横浜らしく舵(かじ)を象ったゴールド・メダル、ロゴは波模様、首掛けリボンはネイビーブルーとホワイトのストライプと、さすがにセンスがいい。なによりもメダルにズシリと重量感があるところが気に入っています。

日経のデジタルサイトだったか忘れましたが、今年の横浜マラソンの経済効果は約70億円だったそうです。マラソンの参加者は一般の観光客よりも地元にたくさんお金を落としてくれるのだとか。マラソンはいまや地元をPRし地域を活性化させる格好の手段になっていると思います。

小牧市も観光に力を入れるというなら、現在10kmの「小牧シティマラソン」を改変して、「小牧山合戦ハーフマラソン」にしてはどうでしょうか?

 

2015.03.18 | マラソン

奈良マラソン奮戦記

 

も押し迫った平成26年12月14日(日)。あの理由なき解散総選挙の投票日。
私は奈良にいました。第5回を迎えた「奈良マラソン2014」。
エントリーは合計1万6000人。うち、フルマラソンは1万3000人でした。
この日の朝、奈良はたいへん冷え込んで、スタートの鴻ノ池陸上競技場の、建物の外周で寒さに震えながら待機している時間の長く感じられたこと。
午前9時。スタートの号砲が鳴っても、しばらくは混雑でよちよち歩きでした。スタートラインにたどり着くまでどれだけ時間がかかったことか。
イモ洗いのような混雑からようやく抜け出せたのは2kmを過ぎたあたりから。そこから10km地点ぐらいまでは平城宮跡、東大寺、興福寺、春日大社のある奈良公園などの名所旧跡を駆け抜けました。街中のわりには意外と傾斜がありました。
奈良公園から天理街道を南下。あたりは田園地帯が広がっていました。この頃ようやく、身体が温まってきて調子が出てきたのですが、飛ばしすぎないようセーブしながら1kmを5分前後のペースで走りました。
16kmあたりから最初の難関、山越えです。上り坂が3kmぐらい続いて、ダムのわきを通って下っていくコース。
私は、殺風景な街中よりも自然や田園風景の中を走るのが好きです。そのせいなのか、アップダウンは比較的得意にしています。坂道で自分より若い男たちを次々に追い越していくときの快感といったら…。
山を下って田園地帯をしばらく走ると天理の市街地が見えてきました。すると、街の中心部に断崖絶壁のようにそそり立つ和洋折衷の巨大な建築物が現れました。天理教教会本部です。その異様な迫力に圧倒され、私はチベットのポタラ宮殿を思ってしまいました。
その建造物の周囲を巡ってレースは折り返すわけですが、建物があまりに巨大すぎるため自分がどこを走っているのかわからなくなってしまいました。まさに迷宮でした。
29kmあたりから、今度は天理側から例の山を越えていきます。こちらからのほうが上り傾斜が急で疲れていたこともあって、相当きつかったことを覚えています。前方を見ると、どこまでも上り坂が続いていたので、私は下を見て身体を前傾させながら自分の走りをすることに集中しました。
こうして、なんとか山越えを終えて、ひと安心していたのもつかの間。35kmあたりからまたもや上り坂です。
いわゆる「30kmの壁」を乗り越えられたと思っていました。ところが、それまで1km5分前後で走れていたのが、ここに来て急にペースダウン。5分30秒ぐらいのペースに落ちてしまいました。ここからの4kmはくじけそうになる自分との戦いでした。
そして、ようやく奈良公園に戻ってきたときは救われた思いでした。県庁前の直線道路を駆け抜けるときは足取りはずいぶん軽くなっていました。
ところが、ゴールまで残り1kmというところで、またもや上り坂。ゴールの陸上競技場までの道のりがどんなに長く感じられたことか。こうしてどうにか競技場にたどり着くと、トラックでは最後の力をふりしぼって全速力でゴールしました。
タイムは3時間44分39秒。スタートの合図ではなく、スタートラインをまたいだときからの計測(ネットタイム)だと3時間42分17秒でした。マラソン男子1万423人中1506位。マラソン男子50歳代では2265人中249位でした。
ところが、自分のランナーズ・ウォッチで確認したら3時間41分でした。じつはレース中、トイレに2回も行ったせいで3分30秒近くロスしていたのです。
目標の3時間45分以内はクリアできたので満足すべきなのでしょうが、ネットタイムだったら3時間30分台で走れていたと思うと悔やまれてなりません。今シーズンのフルマラソンは、あと、2月15日の「京都マラソン」を皮切りに、「静岡マラソン」「横浜マラソン」「掛川マラソン」の4レースにエントリーします。そのどれかでは3時間30分台を出したいと思っています。
余談
歴史と仏教と美術には目がない私は、レースの前日、早い時間に奈良に入って、ひさしぶりに東大寺や興福寺を訪ねました。奈良の大仏も阿修羅像もすばらしいのですが、感激したのは初めて東大寺法華堂(三月堂)を拝観できたことでした。本尊不空羂索観音菩薩はじめ、奈良時代に作られたという諸尊像のエロチックで美しかったこと。若草山に登ったせいで、東大寺ミュージアムと春日大社へは行けませんでした。次回の楽しみにとっておきます
スタートの鴻ノ池陸上競技場。レース前日の様子

スタートの鴻ノ池陸上競技場。レース前日の様子

年も押し迫った平成26年12月14日(日)。あの理由なき解散総選挙の投票日。
私は奈良にいました。第5回を迎えた「奈良マラソン2014」
エントリーは合計1万6000人。うち、フルマラソンは1万3000人でした。

この日の朝、奈良はたいへん冷え込んで、スタートの鴻ノ池陸上競技場の、建物の外周で寒さに震えながら待機している時間の長く感じられたこと。

午前9時。スタートの号砲が鳴っても、しばらくは混雑でよちよち歩きでした。スタートラインにたどり着くまでどれだけ時間がかかったことか。

イモ洗いのような混雑からようやく抜け出せたのは2kmを過ぎたあたりから。そこから10km地点ぐらいまでは平城宮跡東大寺興福寺春日大社のある奈良公園などの名所旧跡を駆け抜けました。街中のわりには意外と傾斜がありました。

奈良公園から天理街道を南下。あたりは田園地帯が広がっていました。この頃ようやく、身体が温まってきて調子が出てきたのですが、飛ばしすぎないようセーブしながら1kmを5分前後のペースで走りました。

奈良公園ではシカたちがお出迎え。写真は前日に東大寺参道にて撮影

奈良公園ではシカたちがお出迎え。写真は前日に東大寺参道にて撮影

16kmあたりから最初の難関、山越えです。上り坂が3kmぐらい続いて、白川ダムのわきを通って下っていくコース。

私は、殺風景な街中よりも自然や田園風景の中を走るのが好きです。そのせいなのか、アップダウンは比較的得意にしています。坂道で自分より若い男たちを次々に追い越していくときの快感といったら…。

山を下って田園地帯をしばらく走ると天理の市街地が見えてきました。すると、街の中心部に断崖絶壁のようにそそり立つ和洋折衷の巨大な建築物が現れました。天理教教会本部です。その異様な迫力に圧倒され、私はチベットのポタラ宮殿を思ってしまいました。

その建造物の周囲を巡ってレースは折り返すわけですが、建物があまりに巨大すぎるため自分がどこを走っているのかわからなくなってしまいました。まさに迷宮でした。

背景の巨大な建物は天理高校や天理大学の正門。スゴイ!

背景の巨大な建物は天理高校や天理大学の正門。スゴイ!

 

背景は天理教教会本部の建物。「ポタラ宮殿」の方ではありません

背景は天理教教会本部の建物。「ポタラ宮殿」の方ではありません

29kmあたりから、今度は天理側から例の山を越えていきます。こちらからのほうが上り傾斜が急で疲れていたこともあって、相当きつかったことを覚えています。前方を見ると、どこまでも上り坂が続いていたので、私は下を見て身体を前傾させながら自分の走りをすることに集中しました。

こうして、なんとか山越えを終えて、ひと安心していたのもつかの間。35kmあたりからまたもや上り坂です。

山の上にある白川ダム沿いの道。ここだけやや平地で少しホッとできます

山の上にある白川ダム沿いの道。ここだけやや平地で少しホッとできます

いわゆる「30kmの壁」を乗り越えられたと思っていました。ところが、それまで1km5分前後で走れていたのが、ここに来て急にペースダウン。5分30秒ぐらいのペースに落ちてしまいました。ここからの4kmはくじけそうになる自分との戦いでした。

そして、ようやく奈良公園に戻ってきたときは救われた思いでした。県庁前の直線道路を駆け抜けるときは足取りはずいぶん軽くなっていました。

要約なら公園へ。東大寺が私の帰りを待っていてくれました。実際は見えません。

ようやく奈良公園へ。東大寺が私の帰りを待っていてくれました。実際は見えません。

ところが、ゴールまで残り1kmというところで、またもや上り坂。ゴールの陸上競技場までの道のりがどんなに長く感じられたことか。こうしてどうにか競技場にたどり着くと、トラックでは最後の力をふりしぼって全速力でゴールしました。

タイムは3時間44分39秒。スタートの合図ではなく、スタートラインをまたいだときからの計測(ネットタイム)だと3時間42分17秒でした。マラソン男子1万423人中1506位。マラソン男子50歳代では2265人中249位でした。

ところが、自分のランナーズ・ウォッチで確認したら3時間41分でした。じつはレース中、トイレに2回も行ったせいで3分30秒近くロスしていたのです。

目標の3時間45分以内はクリアできたので満足すべきなのでしょうが、ネットタイムだったら3時間30分台で走れていたと思うと悔やまれてなりません。今シーズンのフルマラソンは、あと、2月15日の「京都マラソン」を皮切りに、「静岡マラソン」「横浜マラソン」「掛川・新茶マラソン」の4レースにエントリーします。そのどれかでは3時間30分台を出したいと思っています。

余 談

若草山から見た奈良の景色

若草山から見た冬の夕暮れの奈良。はるか向こうにはたぶん二上山、信貴山

歴史と仏教と美術には目がない私は、レースの前日、早い時間に奈良に入って、ひさしぶりに東大寺興福寺を訪ねました。

奈良の大仏も金剛力士像も阿修羅像もすばらしかったのですが、感激したのは初めて東大寺法華堂(三月堂)を拝観できたことでした。本尊不空羂索観音菩薩(ふくうけんかんのんぼさつ)はじめ、奈良時代に作られたという諸尊像のエロチックで美しかったこと。ひともまばらな寒いお堂の縁に腰を下ろして、しばしのあいだ、10体の仏像を眺めながらトランスしていました。

法華堂の隣に、手向山(たむけやま)八幡宮がありました。「このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」菅原道真公が詠んだのはここだったのかと感心していたところ、明日のマラソンのためにご祈願していただけるとのことでしたので祝詞をお願いしました。当日は護符をウェストポーチに忍ばせて走りました。

そのあと、若草山に登りました。かれこれ午後4時近くなり、人影はまばら。頂上付近は寒風吹きすさびじっとしていられないほどでしたが、頂上から見た奈良の景色はとてもきれいでした。時間の都合で東大寺ミュージアム春日大社に行けなかったことが悔やまれますが、これは来年の楽しみにとっておきましょう。

 

 

2015.01.16 | マラソン

« 次の記事