わたしは2000年代初めから、今年創刊55周年を迎えたポピュラー音楽批評誌『ミュージック・マガジン』でワールド・ミュージックを中心に寄稿してきました。
しかし、ここ2年ぐらい、編集部が若返ったことで声が掛からなくなり、てっきり「卒業した」と思っていました。
そんなとき、ひさしぶりに編集部から2024年5月号での「クロス・レヴュー」依頼が来ました。
「クロス・レヴュー」とは、編集部がピックアップした話題の新譜7作について、4人の評者がそれぞれの専門をこえて短評と点数を付ける雑誌の名物コーナーです。
今回、割り当てられた7作は、ワールド・ミュージック、ジャズ、エレクトロ・ポップ、インディ・ロック、Jポップなど、多岐にわたり、ほとんどが初めて聴くアーティストやグループばかり。
自分からすすんで聴くタイプの音楽とは違うのでとても新鮮で素直に楽しめました。
音楽配信が主流になり、歴史的名盤からレア盤まで、膨大な量の音楽を手軽に聴けるようになったせいか、もしくは年のせいか、ここ数年、新録を聴きたいと願う気持ちが減退していました。
そういう意味で、「クロス・レヴュー」は、いい刺激になりました。
紙媒体にこだわってきた『ミュージック・マガジン』ですが、つい最近、「クロス・レヴュー」のみネットで閲覧できるようになりました。
「クロス・レヴュー」2024年4月号
https://note.com/mmrc1969/
ついでに、趣味の音楽とランニングを中心とした個人のブログも紹介させていただきます。
あわせてご高覧ください。
Running for Music – Music for Running
http://tpokjazz.blog.fc2.com
2024.04.18 | 音楽とアート
小牧山城の石垣整備工事のため、ところどころ立入禁止だった山頂部の歴史資料館の外周がこのたび開放。ひさびさに小牧山に朝ランに出かけた。
自宅から山麓に広がる帯郭(おびくるわ)を抜けて、坂を上った桜馬場まで約2km。
ここから山頂まで約1kmを5往復、約10kmの坂道走。
ちょうど朝のラジオ体操に山頂をめざす人たちとかち合った。あいさつしながら駆け上がる。
頂上に来て、織田信長の築城時の石垣を再現したという、主郭(本丸)部分の生まれ変わった姿に心がふるえた。
小牧山城の主郭部分が3段の石垣に囲まれた壮大な「石の城」だったとわかったのは、2013年(平成25)のこと。
わたしは発掘調査現場が特別公開されるときは欠かさず見に行っている(もちろん走って)。このとき、わたしの意識は460年前にタイムトリップしている。
令和3年(2021)、織田信長時代の野面(のづら)積みの石垣をできるだけ忠実に復元する工事が始まった。
この復元プロジェクトがスタートしたとき、山下市長の発案で石垣の裏側に詰める裏込石に名まえやメッセージを書いて納める企画が始まった。
昨年度も大好評だったこの試み、じつはその第1回募集で、栄誉ある第1号になったのはわたしだ。
令和4年(2022)2月11日、午前6時47分にスタートして、大山川沿いを走って「市民四季の森」で折り返し小牧山に入った。
麓にある受付会場「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」にはすでに多くの人たちが並んでいたが、わたしはそこをスルーして頂上の受付会場まで一気に駆け上った。ジャスト20km。
ときあたかも、ロシアによるウクライナ侵攻が懸念されていた時期だったので、裏込石に豊寿苑と家族のしあわせとともに平和への願いを込めて「平安」と書いた。
残念ながら、約2週間後の2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。
小牧山はチャート(堆積岩)という硬くて風化しにくい赤っぽい岩石からできている。一部に混じる花崗岩は岩崎山から運ばれたといわれる。
信長は岩盤をそのまま生かしながら、足りない部分をおもに中腹の観音洞から切り出してきた岩石で補った。土で固めた土塁と堀が一般的だった当時にあっては画期的な「石の城」だった。
山頂までの道は、最近の改修工事によってほとんど舗装されてしまったが、かつては大雨のたびにデコボコになるオフロードだった。
けっしてラクではない勾配を駆け上がりながら、おそらく騎馬で上り下りしていたであろう若き日の信長に思いを馳せたものである。
訪れる人数でいうと、小牧山は名古屋城より多いそうだ。
これは観光目的ではなく、散歩のため、健康のため、毎日のように小牧山に足を運んでいる市民たちの数の多さを物語っている。
こんなにも市民から愛されている小牧山ってすばらしいと思う。
2024.04.16 | 歴史と文化
令和6年4月6日 (土曜日) 曇り時々晴れ
毎年恒例の「五条川花見ラン」。
今年は3年ぶりの介護報酬改定にあたり、昨年度末から多忙をきわめストレス・マックス。
そんなわたしにとって、早朝ランニングは体力維持はもとより、メンタル・バランスを保つために欠かせない習慣である。
3時40分起床。4時43分にわが家をスタート。
小牧山経由で合瀬川沿いを南下。小牧市南西端の藤島までの6kmは胸のライトを点けて走った。
藤島の待合橋から「尾北自然歩道」に入り五条川沿いを北上。岩倉市に入る。
ここから石仏までの約3.5kmが五条川桜並木のハイライトだ。
橋の上に立つと、両岸からしな垂れる満開のソメイヨシノがずっと先まで続いている。
ただ、夜桜鑑賞のためのライトが設置されていたり、屋台が出ていたりするのはいただけない。
といっても、わたしの場合、まだ薄明のことなので問題ない。
江南市に入ると、道幅が狭くなって、桜の花の咲きっぷりがおとなしくなる。
建物の数も少なくなり、まれに行き交うひとは、花見目当てというより、いつもの散歩といったたたずまい。
ちょうど桜越しに朝日が昇って、柔らかい日ざしが静かな朝の情景をもたらしていた。
岩倉市と同じく、大口町も五条川桜並木の整備に力を入れている。
町の中心地に近い花見スポットでは、河川はまっすぐに伸び、左右対称の護岸と桜並木が続く。
取って付けたような赤い橋が架かり、その手前には屋形船が浮かんでいた。
フランス式庭園を思い出した。
この風景、幾何学的で「きれい」だけど「美しい」とはいわない。
むしろ、一面に広がる菜の花畑のほうが、朝日に照らされ美しかった。
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
朝なのに「朧月夜」の歌詞が浮かんだ。
対照的に、犬山市の桜の枝ぶりはもっとワイルド。
川のところどころに雑草が生い茂っているので、より自然に近い印象を受ける。
さしずめ英国式庭園だ。
こうして五条川桜並木は、小牧市の藤島から犬山の長者町手前まで、約14kmにわたって続く。
このあと、羽黒・楽田・田縣神社・味岡経由で、いつもの広域緑道に入って小牧駅前まで10km。
トータル31km。
素足にワラーチ(メキシコのサンダル)ばきでの花見ランは初めてだったが、20km以降、徐々に足底が痛くなってきた。
キロ平均5分32秒はすこし飛ばしすぎと反省。
8時前に帰宅すると、風呂とストレッチでじっくり筋肉をほぐす。
ようやく家族は動き出した。
2024.04.06 | マラソン
『大阪マラソン』まで、ちょうど2週間。
今朝はフルマラソンのシミュレーション。
尾張広域緑道から木曽川犬山緑地に入り、木曽川沿いを西へ扶桑緑地公園、江南緑地公園、フラワーパーク江南の先、各務原大橋の潜ったところで折り返すコース。
さらに5kmほど進めば、138タワーパークである。
夜明け前の午前6時30分にスタート。3時間45分のレース・ペース、キロ5分20秒を想定して走った。
最初の5kmは身体ができてなくて27分22秒(キロ5分29秒)。
5kmから15kmまでは、26分20秒(キロ5分16秒)、26分17秒(キロ5分15秒)と盛りかえすことができた。
扶桑緑地から各務原大橋で折り返す15kmから25kmの往復では、調子に乗りすぎて25分17秒(キロ5分3秒)、25分52秒(キロ5分11秒)。
まだ15kmを残しているのによくないと反省し、25kmから35kmでは意識してペースダウンした。ラップは26分19秒(キロ5分16秒)、26分12秒(キロ5分14秒)。
フルマラソンでは、よく「30kmの壁」といわれる。
長距離走は、効率はいいが長持ちしない糖質と、酸素を取り込んで燃焼させる必要から、効率はよくないが長持ちする脂質とのハイブリッドをエネルギー源としている。
どんな一流ランナー(若き世界記録保持者キプタムの交通事故死を追悼)でも30km走ると、糖質が枯渇してしまう。
だから、エイド・ステーションでエネルギーを補給する。
今日の場合は、携帯のスポーツ・ドリンクや高糖質食品を摂りながら走った。
おかげで疲労はあったが、35km以降の5kmでは、ペース・アップして25分36分(キロ5分7秒)で走ることができた。
目標は5分ジャストだったが…。
結果は、3時間30分20秒(キロ平均5分14秒)。
ゴール後も余力があったので3時間40分前後では走れる自信がついた。
柳田國男が『遠野物語』で、山人(やまひと)について「これを語りて平地人を戦慄せしめよ」と語った。
これにならい、『大阪マラソン』では、『小牧シティマラソン』でたわむれに使った「62才 負けてたまるか」の自作ゼッケンを掲げて、若年世代を「戦慄せしめ」たいと思っている。
2024.02.11 | マラソン
「大阪マラソン2024」まで残り18日。
コロナ禍をはさんで“本気モード”でフルマラソンを走るのは、21年2月21日「京都マラソン2020」以来、じつに3年ぶりである。
レース10週間前の昨年12月18日から練習メニューに取り組んでいる。
土曜か日曜日は25〜30km前後の「長距離走」。キロ5分20秒前後のペース走だ。
先週土曜は2週連続で犬山方面へ木曽川を渡り、対岸に夜明けの犬山城を望みながら走ってきた。
朝日を受けて川面に映った犬山城の美しさといったら…。
水曜日は5kmごとにラップを上げていく、もっともハードな「15kmビルドアップ走」。
今朝も4時20分起床。春とは名ばかり、氷点下近い夜明け前5時30分にスタート。
大山川沿いの緑道をさかのぼり野口会館で折り返すメニューだ。
人通りはもちろん、車両の通行もほとんどなく、胸のライトで前方を照らしながら静寂の緑道をヒタヒタと走った。
寒夜の空に冴え冴えと浮かぶ三日月が美しかったこと。
始めの5kmは24分59秒、次の5kmは24分33秒、最後の5kmは23分43秒。
目標タイムは25分、24分、23分だったことから、力不足を思い知らされた。
こんな調子ではサブ3・5はとても無理だろう。
帰路、白んできた川べりをイタチが通り過ぎた。
こんな寒い時分にイタチとはめずらしい。
体毛が黄色というより茶色に近かったのは冬毛モードのせいなのか? またひとつ発見!
シャワーの前にアンダーシャツで外に出て梅の花をバックに撮影。寒っ。
2024.02.08 | マラソン