いまや「国民病」といわれる花粉症対策に、政府がいよいよ本腰を入れる、との報道が23年4月15日『朝日新聞』朝刊に載っていました。
記事によると、花粉症に悩んでいる人の割合は、98年が19・6%だったのにたいし19年は42・5%にまでふえたとのこと。
これに伴い、花粉症を含むアレルギー性鼻炎にかかる医療費は、保険診療で年間3600億円にふくらみ、医療保険の財政を圧迫する要因の一つになっています。
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そこで岸田首相が打ち出した対策がつぎの「三つの柱」でした。
① 発生源への対策
② 飛散への対策
③ 発症への対策
①は、スギの伐採促進、国産材の需要拡大など、②は、スーパーコンピューターやAIを使った飛散予報の改善など。
なかでも目をみはったのが③です。
そこには「舌下免疫療法(ぜっかめんえきりょうほう)など、新しい治療法を普及するための環境整備」とありました。
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舌下免疫療法は、抗原(アレルゲン)を毎日少しずつ体内に取り込みながら、長い期間をかけて体質改善する「治る可能性のある唯一の治療法」です。
この治療法の普及に政府が力を入れるのは、①それだけ効果が期待できるが、②一般にはほとんど知られていない、ということでしょう。
じっさい、当院でもこの治療法が保険適応を受けた直後からおこなってきましたが、治療を受けている患者さんもさほど多くありません。
それだけ当院のPRが不足していたのと、もうひとつ、舌下免疫療法ならではの、こんな事情が関係していると思っています。
① 花粉の飛散量が減る6月頃から治療が始まる。
② 効果が出るまで長期間(通常2年目以降)を要する。
③ 毎日服用する必要がある。
④ スギ花粉症のみに有効である。
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春先はあんなに苦しんでいたのに、暖かくなって花粉が飛散しなくなったとたん、コロッと忘れちゃう。「のど元過ぎれば熱さを忘れる」というやつです。
そのくせ、次の年、花粉が飛び始めるとまた苦しむことになる。このくり返し。
そんな「花粉症の悪夢」から抜け出したいと切実に感じておられるかたに、スギ花粉の飛散が少ない初夏こそ、舌下免疫療法を始めるチャンスです。
事前検査、治療予約はいつでもおこなっています。まずはご相談ください。
なお、ダニアレルギー性鼻炎の治療のための舌下免疫療法は、いつからでも始められます。
塚原外科・内科
電話0568−77−3175
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【余談】
上の新聞記事の少し前、おなじく『朝日新聞』朝刊で、平成7年(1995)に自民党内で結成され8年間活動した「花粉症等アレルギー症対策議員連盟」、通称「ハクション議連」が、14年ぶりに超党派で復活するとの記事が載っていました。
記事中、思わず笑ってしまったのが、かつてのハクション議連で幹事長を務めた山口俊一・衆院議院運営委員長のつぎの言葉です。
「かつては5月の大型連休が過ぎると花粉の飛散量が減り、活発な議論も行われなくなるという反省があった。今回はしっかり取り組みたい」
まったく「舌下免疫療法」とそっくり。
「舌下免疫療法」も、「ハクション議連」も、根気よく続けることが大切と感じ入った次第。
文責:GM 塚原立志
2023.04.18 | エッセイ
令和5年2月1日の『中日新聞』朝刊第一面に、こんな見出しの記事が掲載されました。
「物価高 限界の高齢者施設」
「暖房、食材…「何一つ削れない」
「倒産など過去最悪」
ここ最近の食費や光熱費などの高騰でコストが跳ね上がっているのに、介護サービスの利用料は国が決めているため、料金に転嫁できず、苦境にあえいでいる介護施設が続出している、というものです。
当施設も例外ではありません。
たとえば、電力料金。
2022年12月分(11/1-11/30)は約348万円。前年同月102万円から一気に246万円も上がりました。
翌23年1月分(12/1-12/31)は約339万円。前年同月138万円から201万円アップ。(表1)
要因は電力会社による電力料金の値上げに加えて、昨年同月に比べて使用電力量が12月分は113・7%、12月分は36%と格段に増えたことがあります。
この結果を受けて、時間帯別に使用量を調べてみました。
すると、起床時の午前6時半頃から昼食時の正午ぐらいまででもっとも高く、夕食時の午後6時を過ぎると低くなることがわかりました。それはご利用者の活動時間帯にあたり、多くは暖房使用によるものと考えられます。(グラフ1)
ではなぜ、今年度に限ってこうも使用量が多いのか?
考えられるのは、例年より気温が低いことが影響しているのではないかということです。
そこで、ここ4年間の月ごとの平均気温を調べてみました。
すると、1月分(12/1-12/31)は平均6・6度で、7〜8度台だった過去3年より低かったのですが、12月分(11/1-11/30)については平均14・6度で、去年の平均より1・6度、過去4年でもっとも平均気温が高かったことがわかりました。(表2)
では原因は何かと考えあぐねた結果、思い当たったのは、この夏に新型コロナのクラスターに見まわれた苦い経験から、日中は2時間ごとに10分間、施設内の空気を入れ換える作業を徹底させたことが影響しているのではないかということです。
その根拠として、例年と比べて8月以降、毎月の電力使用量が急増していることがあげられます。(表3)
例年ならば10月と11月は穏やかな気候が続くことから電力使用量は低くなります。今年は特段に気温が高かったり低かったりしたわけでもないのに、空気の入れ換えにより外気にさらされる頻度が増えたため、冷房も暖房も使わずに済んだ期間はほぼなかったことがデータに表れています。
前述のとおり、12月分(11月)については平均気温が14・6度なので、室内ではおそらく20度ぐらいのはずだからそれほど暖房を入れる必要はなかったのが、定期的に窓や扉を開け放ったことで、ご利用者から寒さの訴えが相次いで暖房をフル稼働することになったというわけです。(表2)
しかし、もしそうであるならば、1月分(12月)はより寒くなるため、使用電力がもっと上がっているはずではないかという疑念が起こります。
この点について考えていたとき、最新の2月分(1/1-1/31)の電力使用量の集計結果が出て、これを見て驚愕しました。
というのも、当該月の電力使用量は76,405kWhで前月より27%、昨年同月より14%落ちていたのです。ちなみに電力料金は約232万円で1月分より約100万円安くなりました。(表4)
考えられる要因の一つは、12月の職員会議や朝礼などでわたしが電力使用量と料金の資料を示したことがあげられます。
だからといって、新型コロナ予防対策を緩めるようにとか、ご利用者に寒さを我慢してもらうようにとか指示したわけではありません。
ただ、スタッフにとっても自分の家庭の電気料金が値上がりしていることから生活実感として伝わりやすく、節約意識が強く働いたと考えられます。
しかし、最大の要因は、年末年始から寒さがより強まったせいで体調を崩すご利用者が増えたことだと考えます。
すなわち、ご利用者の体調に配慮して、スタッフが意図的というよりも心情的に窓と扉を解放する頻度と時間を加減したのだと思います。
今回の分析をしながらつくづく思ったのは、新型コロナ予防対策にしっかり取り組めば取り組むほど、使用電力量が膨れ上がり施設の経営を圧迫しているというジレンマです。
愛知県では昨年末に「社会福祉施設光熱費高騰対策支援金」として1定員あたり3万円の助成金が交付される制度が始まり、申請が通れば当施設に315万円が交付されます。
しかし、みてきたように12月分と1月分だけで、昨年の同月よりもそれぞれ246万円と201万円の計447万円も電力料金が高くなっている状況なので、1回限りの助成ではその場しのぎにしかなりません。(表1)
介護保険制度のなかで運営されている介護老人保健施設は、行政の規制が厳しく、自由に利用料を上げることができません。
そうこうするうちに、光熱費、食材費、医療・衛生材料などがどんどん値上がりし、加えて慢性的な人手不足から人件費も高騰。このままでは施設を経営していけません。
行政には迅速な救済措置を講じてもらえるよう心から願う次第です。
2023/02/08 塚原立志
2023.02.08 | 介護社会論
こまき市民文化財団から2年前に依頼を受け、新型コロナで延期されていた「ゆうゆう学級」の講座をおこなうことになりました。
この間、ロシアのウクライナ侵攻があったことから、たんなる郷土史ではなく昭和の戦争にテーマをしぼることにしました。
取材を進めるうちに、自分が知らなかった戦前戦中の小牧のすがたがよみがえってきました。
残念ながら、今回の講座は事前登録制のため、一般の方は受講できません。
以下、ご案内だけさせてもらいます
GM塚原立志
講座「写真が語る 昭和の小牧 戦争の時代をへて」
講師 塚原立志
内容
昭和2年(1927)の「陸軍特別大演習」から、戦時中の「陸軍幼年学校」開校、「陸軍小牧飛行場」建設、空襲、終戦まで、小牧と関係の深い出来事、戦争史跡、人物などを、当時の貴重な写真と新たに取材した写真、約120枚を見ながら、戦争について考えてみます。
日時 令和4年7月6日(水)午前9時30分〜11時30分
場所 小牧市公民館 4階 視聴覚室
2022.07.04 | 歴史と文化
2月27日に開催予定の「第10回大阪マラソン」について、大阪府の吉村知事は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う医療体制のひっ迫を考慮して一般ランナーの参加を見送る判断をしました。
昨年の第4波に続き、今回の第6波でも全国ワーストの死者数を出す医療提供体制の大阪が、そもそも、2万人もの市民ランナーを集めてマラソン大会を開催する決定をしたこと自体、時期尚早と思っていました。だから、今回の知事の判断はあたりまえだし、「まん延防止等重点措置」が発出された段階で決定を出すべきでした。
ところが、この判断に対し、ホリエモンこと堀江貴文氏がツイッターで次のように批判しました。
「笑。マラソンに向けてコンディション整えてたランナーの精神的な落ち込みとか気にしてんのかなー。やる気まじなくなるよね。こういう適当な対応されると。単に自分の政治的生命の先行きしかみてねーよな。有権者のマジョリティが高齢者だからな。なんかさ、残念だな」
「それでせっかく普段から運動して健康レベルを高く保つ人たちを蔑ろにしてほっといても健康レベルが低い人たちの延命に邁進する。マジで短期的政治生命だけを考えた対応で失望した」
この発言でまず感じたのは「生産性の低い高齢者は早く死んだほうがよい」といわんばかりの露骨な優生思想です。
このような考え方は、人命よりも経費削減を優先して医療崩壊を招いた当の大阪維新の会にも共通するところですが、ホリエモンからすれば「少しはマトモ」と思っていた吉村知事が「転んだ」ことにガマンがならなかったのでしょう。
まったく、クレイジーとしかいいようがない暴言ですが、なかでも違和感を禁じえなかったのは「マラソンに向けてコンディション整えてたランナーの精神的な落ち込み」(ママ)とか、「せっかく普段から運動して健康レベルを高く保つ人たちを蔑ろにしてほっといて」とか、まるで市民ランナーの気持ちを代弁しているかのように語っている点です。
フルマラソンや100kmウルトラマラソンを何度も走ってきた経験からわたしは、このような発言ができるのは、彼がフルマラソンを走ったことがないからだと思います。
マラソンは過酷です。走っていると身も心も限界に近づきます。そんなとき、くじけそうな自分の背中を押してくれるのは沿道の人たちからの声援であり家族や友人たちの存在です。
こういうと、新自由主義者のホリエモンは、きっと「笑。意志が弱いだけの甘ったれ小僧」などと木で鼻をくくったような態度をとることでしょう。
しかし、100kmとなると、どんなにコンディションを整えていても、自分の力だけを頼りには走破できません。70kmに差しかかる頃には体力は限界に達し、リタイアしたい気持ちと葛藤しながら気力だけで走っています。いつしか、ランナー同士に競争意識は失せて、励まし合いながらゴールをめざそうという連帯意識が芽生えています。
そして、ゴールできたときには、自分はおのれ一人の力で生きているのではなく、多くの人たちによって支えてもらっているんだという感謝の気持ちでいっぱいになります。きれいごとのように思われるでしょうが、これは実感です。
また、マラソン・ランナーはだれもが故障して走れない時期を経験しているはずです。だから、参加の中止は残念だったとしても、「健康レベルが低い人たち」を押しのけてまで、自分が健康レベルを高く保ちたいとは絶対に思わない、とわたしはいいたい。
ホリエモン、あなたごときにランナーの気持ちを代弁されるいわれはない。
2022.02.19 | マラソン
永禄6年(1563)に織田信長が築城した小牧山城の石垣を復元する小牧市のプロジェクト。
小牧山発掘調査で出土した、重臣「佐久間」と墨で書かれた石垣石材にちなんだのでしょう、先着順で石垣の中に詰める「裏込(うらこめ)石」にメッセージが書けるということで、2月11日建国記念日、参加してまいりました。
といっても、ただ参加するだけではおもしろくないので、発掘調査現地説明会のときと同様、早朝ランニングしたついでに受付会場にたどり着く計画を立てました。
朝6時45分に自宅をスタート。大山川沿いさかのぼり、9km地点の「四季の森」で折り返すと、元の川沿いの道を下って一路東の小牧山までトータル20km。
8時35分頃、小牧山ふもとにある「れきしるこまき」に着いたら、9時の受付開始に対し、もうかなり人が並んでいました。そこには目もくれず、もうひとつの受付会場である山頂の歴史館まで約1kmを駆け上がりました。
コロナ前はいつも走っていたコースですが、ひさびさに来てみるとオフロードが舗装されていました。
それでも19km走ったあとだったからラスト200mの勾配は結構タフでした。
8時40分頃、ゼイゼイ息を切らしながら山頂の受付会場に到着すると、一番槍、もとい一番乗りでした。
受付でもらった「参加記念証」の左下には「00001」のナンバリング。なんというラッキー! 山頂まで走ってきたかいがありました。
9時に受付開始。裏込石は25cmぐらいで、思っていたより、大きく角張っていました。
そこに筆ペンで、豊寿苑と家族と世界の平穏への願いを込めて「平安」と大書しました。
450年後、石垣の中から発見してもらえるかな?
2022.02.15 | エッセイ