毒と薬

小牧小5年生施設訪問〜ハイパー劇『桃太郎と桃次郎』にブッ飛びました

リコーダーの演奏を披露してくれたクラス

リコーダーの演奏を披露してくれたクラス

小牧小学校は、小牧の市街地で明治6年(1873)に開校、昨年、創立140年を迎えた伝統校。じつは私も卒業生です。

8、9年ぐらい前から、総合学習の一環として小牧小の生徒さんたちが豊寿苑を訪問してくれるようになりました。

今年は10月22日と24日の2回、5年生が2クラスごとに約70名ずつ来てくれました。

まず、生徒たちがクラスごとに話し合って決めた歌や演奏、ダンスといった出し物を披露します。
そのあと、生徒たちを囲むようにU字型に並んだお年寄りたちのところに行って、一人ひとりと対面でふれあいます。

滞在時間は1時間程度ですが、世代も生活歴もまったくちがう、かれらにとっては「エイリアン」といっていいようなお年寄りたちとの対面的なコミュニケーションが、家庭や学校とは別の社会との係わりの第一歩につながればいいと感じています。

楽しくにぎやかにダンスを披露してくれたクラス

楽しくにぎやかにダンスを披露してくれたクラス

また、お年寄りの心からの「ありがとう」の言葉を受けとめ、社会のなかで自分がひとの役に立っていることに気づいてくれたのなら、これ以上の喜びはありません

別れ際に、感激のあまり涙を流している生徒たちやお年寄りたちを見ると、「いいことをしてよかった」という気分にさせられます。

今年もどのクラスも元気いっぱいで、それぞれに個性があってお年寄りのみなさんはとても喜んでおられました。
そのなかで、あるクラスがたいへん興味深い劇を見せてくれましたので、そのことについてくわしく書かせてもらいます。

最後はお年寄りたちとふれあいタイム

最後はお年寄りたちとふれあいタイム

演題は『桃太郎と桃次郎』
生徒たちのオリジナルで、いうまでもなく、昔話『桃太郎』のパロディ。話の流れは『桃太郎』のまんまなので、ここではポイントのみ記します。

桃太郎と桃次郎が鬼ヶ島へ向かう途次、イヌ、サル、キジのほか、スギちゃん、小島よしお、ふなっしーといった芸人やキャラと出会って次々とお供に加わっていきます。

こうして鬼ヶ島に着いたときには桃太郎一行は大所帯にふくれ上がっていました。その数に圧倒された鬼たちはのっけから戦意喪失。善良で気弱でマイノリティーという鬼のほうにシンパシーを感じてしまったのは、たぶん私だけではないでしょう。

そのあと、経緯は忘れましたが、お互いにあまり戦意が感じられない桃太郎たちと鬼たちとのあいだで牧歌的/遊戯的なバトルがくり広げられます。こうして収拾がつかなくなったかれらの前に、水戸黄門一行が現れて事態を丸く収めてメデタシ、メデタシ。

あとで先生にうかがったら、この話はこの夏の野外合宿のときにみんなで考えたとのことでした。

オリジナル劇『桃太郎と桃次郎』の主役の二人

オリジナル劇『桃太郎と桃次郎』の主役の二人

私は、これは生徒たちの集合的無意識が反映されたクラスの物語だと思いました。その理由はいくつかあげられます。

まず、主役が桃太郎と桃次郎の二人ですが、これは一人だけがクラスで目立ってしまうことへの自己防衛のあらわれのようにも解釈できます。昭和36年(1961)生まれの私の時代だったら、いい意味で目立つことについてはクラスから容認され、尊敬もされていたのと隔世の感を禁じえません。
同じように、作者が生徒の一人ではなくみんなの共同脚本であるところもそうしたあらわれでしょう。

また、鬼ヶ島へ鬼退治に出かける桃太郎一行には「正義」の正当性の根拠(正当性があってこその正義なのに)が見当たりません。つまり「正しさ」の拠り所が内在的な倫理基準にではなく、最大多数の同調にあるあたりがいかにも現代的です。

だから、別に知らなくてもどうってことない、ダンディ坂野や小島よしおといった一発屋のネタを知っていることが仲間への参加要件になるのです。

鬼は悪事をはたらいたから成敗されるというより、バラバラで個性的なキャラクターの集まりである桃太郎一行が仲間としてまとまるための口実でしかないような気がします。あえていうなら、鬼であること、仲間に同調できないマイノリティーであることが退治される理由なのです。

桃太郎一行と鬼たちとのあいだには善と悪という二元論的な対立はありません。両者は見た目も性格もまったく同じで入れ替え可能です。差異がないから雌雄を決する戦いにはなりえず、中味がなく、とりとめもないやりとりがネバーエンドでくり広げられるのです。

脈絡なく降臨してくる水戸黄門は、このゲームを強制終了させるための手段です。第三項としての水戸黄門は、いうまでもなく担任の先生のメタファーです。葵の御紋という圧倒的な力を借りるほかに事態の収拾が図れないということなんでしょう。

先生の調停によってざわざわしていたクラスは一つにまとまるというハッピーエンド。しかし、この平和は長く続かないだろうことは東西冷戦終結後の世界を見てきた私たちはもちろん、当の生徒たちもなんとなくわかっているはずです。

まったく、子どもたちの創造力にはブッ飛びました。子どもはまさしく社会の鏡ですね。

2014.12.03 | 地域交流