ある日、東京の知り合いの編集者から
「塚原さんにぴったりの映画が公開されるので映画評を書いていただけませんか?」
というメールをいただきました。
それは『パーソナル・ソング』という認知症と音楽について描いたアメリカのドキュメンタリー映画でした。
たまたま、『レナードの朝』の原作で知られるアメリカの脳神経科医オリヴァー・サックスの『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』(ハヤカワ・ノン・フィクション文庫)を読み終えたばかりだったこともあり、快く引き受けました。
数日後、編集部からサンプルDVDが届けられました。〆切が迫っているのでさっそく観ようと思ったところ、「どうせならスタッフにも観てもらおう」と緊急に施設で上映会を開くことにしました。
急な呼びかけだったにもかかわらず、上映会には入所・通所担当の介護スタッフはじめ、相談員、ケアマネージャーなど、15人ほどが集まりました。
マイケル・ロサト=ベネット監督によるこのドキュメンタリー映画は、ダン・コーエンという以前IT関連の仕事をしていたソーシャル・ワーカーが、認知症、多発性硬化症、双極性障害といった疾患により病院、介護施設、あるいは在宅で療養している人びとを訪ね、それぞれの思い出の音楽(パーソナル・ソング)を探り当てて、かれらの閉ざされた心に光を灯していく物語です。
映画の冒頭、こんな印象的なシーンがあります。
介護施設に入所して10年になる94歳の黒人男性ヘンリーは重い認知症。1日中、車イスで一人ポツンと無表情にうつむいたまま過ごしています。面会に訪れた娘の名まえさえ覚えていません。
ダン・コーエンは、ヘンリーが若い頃、熱心に教会へ通っていたという話を聞いて、彼にヘッドフォンでゴスペルの名曲’Goin’ Up Yonder’ を聞かせます。
すると、ヘンリーは突然目を輝かせ、身体を揺らしながら歌い出します。そして、若い頃の記憶や思考や気分などが次々とよみがえってきて、かれは生き生きとした表情で語り始めます。
ちなみに、ヘンリーのお気に入りは、30〜40年代に大人気だった「ミニー・ザ・ムーチャー (Minnie The Moocher) 」で知られる〝ジャイヴの王様〟キャブ・キャロウェイでした。
私もキャブ・キャロウェイは大好きです。
映画ではキャブが自らのビッグバンド率いてハイテンションで歌い踊るシーンがはさまれ、興奮した口調でキャブのことを語るヘンリーのうれしそうな表情との相乗効果によって、つい表情が緩んでしまいました。
映画にはオリヴァー・サックス医師も出ています。前述の『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』で、彼は音楽と脳の関係について次のように説明しています。
音楽の認識は、人間の脳の1個所でおこなわれるのではなく、脳の全体に散らばっているさまざまな部位のネットワークからなっています。つまり、音質、音色、音程、メロディ、和音、リズムを感じとる脳の部位がそれぞれに分かれていて、これらを頭のなかで統合して音楽として認識するというのです。
さらにこの構造的な認識に、感情的な反応が加わって、運動をもうながします。音楽は脳の広い範囲を刺激するばかりでなく、感情を呼び起こし、身体運動をもたらすというのです。ヘンリーはそのもっともわかりやすいケースといえるでしょう。
サックス医師は、映画の中で音楽は認知症によるダメージを比較的受けにくいともいっています。
これは、音楽として認識する脳の部位が各所に散っているおかげでリスクも分散されるというふうに理解すべきなのでしょうか?
脳は通常、優位な方の脳半球がもう一方の脳半球の働きを抑え込んでいます。それが、たとえば脳卒中によって優位脳半球の広い部位が損なわれたりすると、抑制されていた脳の機能が解放されることが起こるようです。
音楽が認知症に効果があるというのは、このように解放された脳の部位を刺激し活性化させるためではないかと私は考えます。
音楽療法というと、当施設でもそうですが、集団で懐かしい歌をうたったり楽器を演奏したりするのが一般的です。ダン・コーエンの音楽療法がユニークなのは、iPodを使って一人ひとりにヘッドフォンで音楽を提供している点です。
私もランニングや筋トレのときiPodをしています。これによってざわついた外の環境からある程度、情報遮断ができ、運動に集中できるだけでなく内省が高まってイマジネーションがわいてきます。ダンがやったのはこれとおなじ原理かと思います。
(続く)
2014.12.18 | 音楽とアート
2014年7月20日発売の『ミュージック・マガジン』8月号のアルバム・レビューで、きゃりーぱみゅぱみゅの3作目のニューアルバム『ピカピカふぁんたじん』の紹介記事を1ページで書かせてもらいました。
きっかけは、いつもの原稿依頼の返信メールに「ダンスが大好きな17歳になる自閉症の娘はきゃりーの大ファンで、この秋に娘とコンサートに行くことになりました」と書いたことでした。
それを読んだ編集長から「ちょうどきゃりーの新作が出るので書いてみませんか?」とオファーされました。たしかに娘はきゃりーの2枚目のアルバム『なんだこれくしょん』をiPodで全曲120回以上くり返し聴いたぐらいのフリークですが、私は娘につき合って聴いていたにすぎません。第一、Jポップにもアイドルにもそんなにくわしくありません。
だから、いったんは自分には荷が重すぎるとおことわりするつもりでした。が、自分の可能性を伸ばす意味でもまたとないチャンスであると思い直し、引き受けることにしました。
それから〆切までの約1週間、朝のランニングで、スポーツクラブで、職場のデスクで、自宅の書斎で、寝ても覚めてもきゃりー漬けの日々を過ごしました。
そうして私の頭の中に浮かび上がってきたのが、きゃりーのスーパー・ポジティヴともいえるスタンスでした。きゃりーの音楽そのものの解説は『ミュージック・マガジン』8月号の記事で読んでいただくとして、ここではこのことについてふれたいと思います。
「ピカピカ」や「キラキラ」などの擬態語、「ハッピー」や「ラッキー」などのわかりやすいことばを用いてハイ・テンションで展開するきゃりーの歌は、ちょっと聴いた感じでは子どもっぽく他愛もないものに思えるかもしれません。でも、よくよく聴いてみると、未来に希望をもって積極果敢に前進し続ける彼女の強い意志が感じとれます。
彼女の歌は、ことばの、音としての響きのおもしろさが大きなウェイトをしめているので、歌詞を文字で書いてしまうと深みが感じられなくなってしまうので割愛しますが、中田ヤスタカが創り出すきらびやかな音の世界と相まって、私にはこんなメッセージが聞こえてきます。
「だいじょうぶ。難しく考えすぎないで、まずは一歩踏み出してみよう。そうすればきっと明るい未来が広がってくるから」
きゃりーの奇抜に思える音楽もファッションも、彼女の楽観的でポジティヴな行動主義の先に現れたラディカルさといえるでしょう。
この流動化社会。明日はどうなるかだれにも予想できません。だから、いつも不安が先に立って、何をするにも臆病になってしまいがちです。きゃりーを見習わなければと心から思いました。
2014.07.10 | 音楽とアート
ぐらもくらぶからは、前掲の『六区風景 想ひ出の浅草』を含めて、平成26年6月現在、わずか2年あまりで計9タイトルがリリースされています。どれも始めて耳にするような戦前の貴重な音源のオンパレードです。
「ジャズ」とか「ジャズソング」と戦前に呼ばれていた、シャンソンやラテンを含む日本の洋楽系音楽の埋もれた音源が多数復刻されたことで、「ジャズは戦後、進駐軍によって大々的に日本にもたらされた」いう、阿久悠原作、篠田正浩監督の映画『瀬戸内少年野球団』あたりによって染め込まれた「常識」は完全にくつがえされました。
また、戦前、東京・大阪・名古屋にあった数々の中堅レコード会社の音源を多数復刻したことで大手レコード会社中心に編まれていたこれまでのレコード文化史に一石を投じました。
さらに昭和初期に流行したものの、ゲテモノ扱いされていたいわゆる「エロ歌謡」を日本ポピュラー音楽史における画期として正面から取り上げたことの功績も大きいと思います。
なによりも、戦前に地元名古屋の大曽根にあったツル/アサヒ・レコードの音源を多数復刻してくれたのことに感謝。ちなみに『大名古屋軍歌』収録の「奪つたぞ!漢口」を作詞した穂積久は、わたしの幼なじみのおじいちゃんで「新小牧音頭」を作詞した方です。
以下、一つ一つをくわしく紹介する余裕がないのでジャケット写真だけ掲げておきます(発売は全てメタカンパニー)。
2014.06.17 | 音楽とアート
これらスーパーレア音源を復刻したのは、戦前レコード文化研究家でSPレコードのコレクターの保利透さんが主宰するぐらもくらぶというレーベルです。保利さんは72年生まれ。保利さんの協力者で『ニッポン・スウィングタイム』『砂漠に日が落ちて 二村定一伝』(共に講談社)などの著者である毛利眞人さんも同じく72年生まれ。『想ひ出の浅草』で浅草オペラの箇所を主に担当した小針侑起さんにいたっては80年代の生まれというから驚きです。
このようにぐらもくらぶを中心とした、ここ数年の戦前SP音源復刻ブームを支えているのは若い世代の人たちです。当苑のご利用者をみればわかるように、いまや、かなりの高齢といわれている人たちでさえ、せいぜい大正末〜昭和初めの生まれで、その人たちが戦前の録音を「懐メロ」として親しむことはほぼなくなったといっていいでしょう。
61年生まれのわたしも含め、保利さんや毛利さんのような若い世代の人たちにとって、あまりにも自分からかけ離れた時代の音であるがために、それらは「古びた音」ではなく「新しい音」として響いてくるのだと思います。
といっても、これらを楽しめるのは、戦前日本の文化や社会史的な背景にくわしいひと握りのマニアに限られるのですが‥‥。
2014.06.17 | 音楽とアート
ところで、浅草芸人といえば、渥美清、萩本欽一、ビートたけしの名前を思い出す人も多いと思います。しかし、浅草が生んだ代表的なコメディアンは、なんといってもエノケンこと榎本健一でしょう。
エノケンは、「エロ・グロ・ナンセンスの時代」と呼ばれた昭和の初めに、アメリカ映画のギャグや早いテンポ、ジャズのセンスを取り入れた、歌あり笑いありのレビューで大人気になりました。かつては豊寿苑でも『エノケンの青春酔虎伝』だとか『どんぐり頓兵衛』だとか『ちゃっきり金太』だとか、エノケン映画を上映したものです。
喜劇王エノケンのデビューが浅草オペラだったことはよく知られています。浅草オペラとは大正半ばに浅草の劇場で大人気となった大衆向けの軽オペラ(「オペレッタ」といわれます)。その熱狂的なファンはオペラとゴロツキを合わせて「ペラゴロ」といわれていました。宮沢賢治や川端康成もペラゴロでした。
浅草オペラは関東大震災で壊滅的な打撃を受けて消滅しました。そのため、全盛期の浅草オペラの録音は残っていないとされていました。ところが、『想ひ出の浅草』にはその時代の録音が数多く収録されました。これは快挙です。浅草オペラがなければ、エノケンもロッパもあきれたぼういずも出てこなかったでしょうし、その意味で日本のポピュラー・ミュージックの源流の一つを知る上でもとても意義のある復刻だと思います。
2014.06.17 | 音楽とアート