夏の夕方になると、豊寿苑の事務室と施設長室には強い西日が射し込んできます。
これを防ぐため、3年前から緑のカーテンを作るようになりました。
今年は去年の反省を踏まえて葉の大きいゴーヤーを植えました。
まず日当たりのよい庭園で苗を育て、ある程度、大きくなってから窓際に移したのがよかったみたいです。これまでになく立派な緑のカーテンになりました。
それにしても、青々と生い茂った植物の緑を見ているだけでなんとも心が癒やされます。花を見つけては心なごみ、実を見つけては心ときめき、毎日、表情を変えていくところがたまりません。
そして、ゴーヤーの実を収穫してみんなで分け合ったときのしあわせ感といったら、何ものにも代えられませんね。
平成26年6月24日火曜日午前。梅雨にもかかわらず快晴。
職員駐車場のわきに今年作った花壇のヒマワリが、夏の日射しを浴びて、毎日10㎝ぐらい、グングン伸びていまにも私の背丈に追いつきそう。
今日は、6月恒例の行事「竜神祭」。
苑の庭園の池のすぐ近くに松の木があって、その木陰に小さな祠(ほこら)が建っています。これが「竜神様」。祭神は八大竜王。仏法を守護する竜族の八王だそうで、古くから雨乞いの神様として祀られていました。だから、池の近くにあって、梅雨の季節にお祭りをおこなうわけです。
豊寿苑の「竜神様」の元は商人だった祖父が祀ったものです。竜とは蛇のことでもあり、おそらく商売繁盛や家門繁栄を願ったのでしょう。現在はというと、主にご利用者の健康長寿と双寿会の事業繁栄をご祈願しています。
この日はご入所者を中心に約60名の方が出席。デイケアご利用者は入浴時間と重なったことから午後からの参拝になりました。
小牧神明社の宮司さんに祝詞(のりと)をあげていただいたあと、各人が祠の前で玉串を捧げご祈願します。麻痺で柏手をうまく打てなかったり、玉串を供えられなかったりしても、心を込めて祈りを捧げておられた姿が印象的でした。
ぐらもくらぶからは、前掲の『六区風景 想ひ出の浅草』を含めて、平成26年6月現在、わずか2年あまりで計9タイトルがリリースされています。どれも始めて耳にするような戦前の貴重な音源のオンパレードです。
「ジャズ」とか「ジャズソング」と戦前に呼ばれていた、シャンソンやラテンを含む日本の洋楽系音楽の埋もれた音源が多数復刻されたことで、「ジャズは戦後、進駐軍によって大々的に日本にもたらされた」いう、阿久悠原作、篠田正浩監督の映画『瀬戸内少年野球団』あたりによって染め込まれた「常識」は完全にくつがえされました。
また、戦前、東京・大阪・名古屋にあった数々の中堅レコード会社の音源を多数復刻したことで大手レコード会社中心に編まれていたこれまでのレコード文化史に一石を投じました。
さらに昭和初期に流行したものの、ゲテモノ扱いされていたいわゆる「エロ歌謡」を日本ポピュラー音楽史における画期として正面から取り上げたことの功績も大きいと思います。
なによりも、戦前に地元名古屋の大曽根にあったツル/アサヒ・レコードの音源を多数復刻してくれたのことに感謝。ちなみに『大名古屋軍歌』収録の「奪つたぞ!漢口」を作詞した穂積久は、わたしの幼なじみのおじいちゃんで「新小牧音頭」を作詞した方です。
以下、一つ一つをくわしく紹介する余裕がないのでジャケット写真だけ掲げておきます(発売は全てメタカンパニー)。
2014.06.17 | 音楽とアート
これらスーパーレア音源を復刻したのは、戦前レコード文化研究家でSPレコードのコレクターの保利透さんが主宰するぐらもくらぶというレーベルです。保利さんは72年生まれ。保利さんの協力者で『ニッポン・スウィングタイム』『砂漠に日が落ちて 二村定一伝』(共に講談社)などの著者である毛利眞人さんも同じく72年生まれ。『想ひ出の浅草』で浅草オペラの箇所を主に担当した小針侑起さんにいたっては80年代の生まれというから驚きです。
このようにぐらもくらぶを中心とした、ここ数年の戦前SP音源復刻ブームを支えているのは若い世代の人たちです。当苑のご利用者をみればわかるように、いまや、かなりの高齢といわれている人たちでさえ、せいぜい大正末〜昭和初めの生まれで、その人たちが戦前の録音を「懐メロ」として親しむことはほぼなくなったといっていいでしょう。
61年生まれのわたしも含め、保利さんや毛利さんのような若い世代の人たちにとって、あまりにも自分からかけ離れた時代の音であるがために、それらは「古びた音」ではなく「新しい音」として響いてくるのだと思います。
といっても、これらを楽しめるのは、戦前日本の文化や社会史的な背景にくわしいひと握りのマニアに限られるのですが‥‥。
2014.06.17 | 音楽とアート
ところで、浅草芸人といえば、渥美清、萩本欽一、ビートたけしの名前を思い出す人も多いと思います。しかし、浅草が生んだ代表的なコメディアンは、なんといってもエノケンこと榎本健一でしょう。
エノケンは、「エロ・グロ・ナンセンスの時代」と呼ばれた昭和の初めに、アメリカ映画のギャグや早いテンポ、ジャズのセンスを取り入れた、歌あり笑いありのレビューで大人気になりました。かつては豊寿苑でも『エノケンの青春酔虎伝』だとか『どんぐり頓兵衛』だとか『ちゃっきり金太』だとか、エノケン映画を上映したものです。
喜劇王エノケンのデビューが浅草オペラだったことはよく知られています。浅草オペラとは大正半ばに浅草の劇場で大人気となった大衆向けの軽オペラ(「オペレッタ」といわれます)。その熱狂的なファンはオペラとゴロツキを合わせて「ペラゴロ」といわれていました。宮沢賢治や川端康成もペラゴロでした。
浅草オペラは関東大震災で壊滅的な打撃を受けて消滅しました。そのため、全盛期の浅草オペラの録音は残っていないとされていました。ところが、『想ひ出の浅草』にはその時代の録音が数多く収録されました。これは快挙です。浅草オペラがなければ、エノケンもロッパもあきれたぼういずも出てこなかったでしょうし、その意味で日本のポピュラー・ミュージックの源流の一つを知る上でもとても意義のある復刻だと思います。
2014.06.17 | 音楽とアート